決定論

 この世界では、すべてのできごとが、あらかじめ決められていると教えられてきた。
 教室の中は、足首まである長衣を着た生徒たちで埋まっている。
 修行僧のようだが、ここは僧房ではない。暗い冬、暖房のない室内は凍えるほど寒くなる。織りが粗く温かみに欠ける制服は、しかし受講を続けるために必須のものだった。衣のフードを頭から被ると、周囲に気を散らさず、教師の講義を聴くことができた。
「あなた方が生まれ、これから成長し大人になり、やがて歳をとって死んでいくまで、あなた方が経験すること、見たり聞いたり感じること、その喜びや苦しみ、楽しさや悲しみを含めて、あらゆるものごとはもう定められているのです」
 生徒たちが並ぶ前で、教師は淡々と語った。小さな声だった。しかし、しんと静まりかえった教室では隅々にまでよく聞こえた。
「決められない、ということでしょうか」
 一人の生徒が声を上げた。その声も大きくはなかった。
「決めるとは」
 教師は口元にわずかな笑みを浮かべ、生徒の方を向いた。
「ぼくが、自分で決めるという意味です」
「なるほど、自分の意思で何が決められるのか、と訊きたいのですね。なかなか良い質問だと思います」
 教師の表情は変わらなかった。
「さて、意思とはいったいなんでしょう、きみは、それがどんなものだと思いますか。自分で考える、自分で判断することですか。今日は何をしようと決めて一日を過ごす。自分で思った通りにする」
「そう、そういうものではないですか」
「しかしそれは、はたして意思なのでしょうか」
 ゆっくりと右手を差し上げた。
「知られている限りでは、違うのです。われわれの人生は誕生したときから消え去るまで、すべてが決定されている。つまり、あなた方が今この瞬間に考えるすべてのことは、あらかじめ決められている。あなた方が意思だと思っていることは、実はすべて決まった台本に書かれている。あなたがたは台本に書かれたセリフを口にして、台本に書かれた演技をしているにすぎない」
 生徒たちは感情を表さず、その声を聞いている。
「明日ぼくが何をするのか、もう分かるのですか」
 一人の生徒だけが食い下がった。
「わたしには分かりません。台本を書いたのがわたしではないからです。しかし、台本はすでに書かれている、つまり決まっているのです」
「分からないのに、なぜ決まっていると言えるのですか」
「われわれは卑小な人間に過ぎません。人間が分かるのは、ごく狭い範囲です。生まれてから今現在までの体験しか分からない。けれども、世界を外から見ると、人間の明日も過去と同じように一瞥で見わたせる。なぜなら、その全貌、昨日今日明日はもう出来上がっているからです。作り上げている途上にあるのではなく、完成している。われわれは、その出来上がった道路の上を歩いているに過ぎません」
「その全体はどうやったら見られるのでしょう」
 教師は右手を小さく振ってから言った。
「残念ながら、われわれはここ、三次元の空間の中に囚われているのです。空間の中ならば、どこにでも行くことができる。海の底に潜り、空の上を飛べる。けれども、時間だけは自由になりません。われわれは時間を一定速度で下っています。戻ることも、速度を上げて進むこともできない」
「そのことと、外とは、どう関係するのでしょうか」
「先ほど言ったように、われわれの世界では起こることが決まっています。決定された世界での時間は、たとえて言うと一本の線なのです。過去から未来に、まっすぐに引かれた線の上にある。もし、一本の線ではなく、そこに枝分かれや、未来から戻ってくるループがあったとするとどうでしょう。結果である未来が、原因であるはずの現在に影響を与えてしまったり、原因から複数の結果が生じてしまうかもしれません。これが許されるのなら、未来は決定しておらず、不確定になってしまう」
 教師はわずかに口調を強めた。
「しかし、そのようなことは起こっていません。ということは、われわれの世界に流れる時間は一本の線なのです。全体は流れの外からしか見られません。しかし、その全体を見ることができる存在は、われわれに干渉できないし、われわれからも接触できない。つまり、不可知な存在なのです」
 教室は再び静まりかえり、あとは教師の声が淡々と続くのみだった。
 教師は、時間が分岐もループもない一本の線だと教えた。一本の線であるから原因と結果は明確につながり、不確定なものはない。すなわち原因に対する未来は決定している。しかし、それらをすべて見渡せる存在は不可知である。

 *

 質問をした一人の生徒は、幼年学校のころのぼくだ。
 今になって考えると、教師が子どもを前に話すには難しすぎる内容だった。時間を外から眺めるという概念は、教師が多世界解釈を知っていて語ったのだろう。この世界を外部から俯瞰するためには、世界の外にある別の世界の存在を仮定しないといけない。
 大人になってから、ぼくは因果律研究と呼ばれる分野の、一般向け書物を何冊か読んでみた。
 その中に、われわれが住むこの宇宙と別の並行宇宙が、無限に存在するという記事があった。別の宇宙では、別のぼくが別の人生を歩むのだ。とても奇妙な考え方だった。ぼくが今の人生を生きるのには必然がある。ぼくが複数いても、別の人生はないだろう。
 記事によると、個々にある並行宇宙は、すべてが決定された世界である。すべてはお互いから独立しており、干渉し合うことはない。
 それらの宇宙は、生まれたときから独立している。そしてまた、すべての宇宙は、宇宙の始原から存在する。宇宙から別の宇宙が生まれることはない。なぜなら、もし分離が生じると、一つの原因から複数の結果が生まれてしまうからだ。
 われわれの宇宙には、一組の原因と結果がある。
 時間の流れが一本になるのも、そこに主要因がある。どんなに複雑な事象であっても、この関係は厳密に保証される。一つの原因と結果のペア、一対一の関係が崩れるとき、この世の成り立ちが脅かされる。それぐらい重大な法則なのだ。
 では、なぜ複数の宇宙がありうるのか。
 なぜなら各宇宙ごとに別の原因が置かれているからだ。別の原因があるのなら、別の結果が生じるのも不思議ではない。だとすると、その世界にはぼくはいないのだ。ぼくとは違う誰か、何かが存在するだけだろう。
「いや、そんなことはない。同じおまえが存在するのかもしれない」
 幼なじみの友人と、ぼくは議論したことがある。友人は秀才で、大学を出てどこかの研究機関に勤めている。
「同じぼくがいるのなら、同じ人生をたどるはずだ。だったら別の宇宙という意味がないだろう」
「いや、同じおまえがいても、別の人生は可能だ」
「なぜそんなことが」
「原因に対する結果が、同じでなかったとしたらどうだ」
「同じ原因で、違う結果があるという意味か。まさか」
「もっと小さなできごとを考えてみろ。買い物をするとき、どんな飲み物を買うか迷うこともあるだろう。強い酒を飲むか、ワインを飲むかを選択する。今は酒を買うかもしれないが、ワインを買ったかもしれない。そういう選択なら違う結果もある。必然はないだろう」
「あるかもしれないが、それで何が違うのか分からない」
 ぼくらの住む社会はシンプレックスの概念に基づいて作られている。
 ものごとには結局のところ、何らかの原因とペアになる結果がある。その間に複雑な事象を挟んでも結果は変わらない。原因は一つであって、それ以外は結果に影響を及ぼさないからだ。
 そうであるなら、社会はできる限り単純であるべきだ。
 ぼくが生まれた都市は周囲を農地に囲まれ、低層の建物が並び、小規模の繁華街があった。数万人いる市民の八割は農民だ。子どもは地元の幼年学校を出ると、大半が職業に就く。一割が中級学校から専門学校へと進み、さらにそこから一割の限られた者だけが、首都圏にしかない大学に行ける。誰がどこに行くか、どこに進学するかは、生まれた時から決まっている。
 ぼくは専門学校までを出た。
 職場は出身学校によって決定している。すこし離れた隣接都市だ。生まれた故郷と似ている。周りが農地で小さな市街地がある。よく似た人口、よく似た町並み。
 両親も同じような都市に生まれ、二人とも官吏になった。農民は農民同士で結婚する。官吏は官吏同士で結婚する。ぼくも官吏になる。やがて、職場の誰かと結婚するのだろう。これからも、予想のつかない未来はこない。
「人生のスケールからすれば、たしかにに大きな影響はないだろう。しかし、なされなかった選択が別の宇宙で行われる意味は大きいと思わないか」
「そんなささいな違いでもか」
「ささいといっても、宇宙が無数にあるとするなら、違いが累積する。同じおまえがいて、まったく違う生活をしているかもしれない」
「そうだろうか」
 ぼくが存在するのなら、父や母はいまと同じ父と母だろう。親が違えばぼくは生まれない。すると、父や母の生涯も同じになる。ぼくが生まれるまでの因果は変わらない。差異が出ても微少にとどまる。許される個別の差異はとても小さい。そんなレベルなら、違いを積み上げても大幅に変わるはずがない。
「おまえは昔、自分の意思にこだわっていたように思ったがな。複数の人生がありうるのなら、選ぶ自由があるのと同等だとみなせるだろう」
「どうだろう。全宇宙を足せばそうかもしれないが、ぼくにとっては一つの決定された宇宙しかない。決定された宇宙がたくさんあるだけでは、選択が自由にできたとはいえない。そんな言い方は正しくないと思う」
 友人はぼくの頑固さに辟易したようだった。
 大人になるにつれて、ぼくの考えは、今現在を正当化する保守的なものに変わったのかもしれない。
 別々の因果の時間線を持つ複数宇宙は、お互い決して交わることがない。
 中に住むものが他の宇宙を観測することも、されることもない。観測できるのは、高次元のなにものかだけだ。
 そんな不可知のものに、何の意味があるのか。
 決定された世界は、古代から知られた概念だ。
 かつては、創造主がすべての出来事を決めていて、人の意志もその範疇に含まれるとされた。やがて、科学技術が創造主に取って代わったが、物理法則の因果律は創造主よりもかえって厳密であることが分かっている。原因を初期値として導かれる因果関係には、いっさい変動の余地はない。人間の自由意志とは、決定論の枠内にある意識の問題「自由だと思えば自由」にすぎないのだ。
 ある日、ぼくは友人から送ってもらった研究所の紀要を読んだ。
 友人の勤める研究所で、新たな脳の機能が発見されたようだった。前頭前野の一部に、意識の遙か手前で励起する部分が見つかったのだ。ちょうど額の奥、眼の上の部分になる。もともと前頭眼窩野などは、人の感情が意思に影響を与えることで知られていた。意思決定は論理的に行われるものではない。感情を交え、どちらかといえば反射的、直感的に行われる。
 しかし、仮にアルファ部位と名付けられた部分は、反応をダイレクトに返す反射よりもさらに前に、あらかじめ何をするかを決めているらしい。理性どころか、好悪の感情などの直感より優先される。
 これこそが「台本」ではないのか。
 ぼくは気分が高揚するのを覚えた。議論されてきた世界のあり方に、確かな証拠を与えるものだった。人の行動はここで決定されている。自分の意思など欠片もない時点で。
 ただ、人生の台本がすべて書き込まれているにしては、小指ほどの部位は小さすぎるように思えた。
「おもしろいことが分かってきた」
 数週間後、友人が教えてくれた。
「前頭前野のアルファ部位には神経細胞がきわめて少ない。記憶を蓄積するには少なすぎるし、脳幹のように脳の中枢にあるわけでもない。とすると、何が部位を活性化するのかだが、脳の外からとする説がでている」
「なぜ外なんだ」
「アルファ部位が受信機に似ているからだ」
「何を受信するんだ」
「そこまではまだ分からないが、実験をする予定になっている。信号を遮断する実験だ」
「どういう信号なんだ」
「信号は長波だとか、超短波説があるが、それだと地上のどこかに発信源がないといけない。しかし、固有の人の器官に人為的な信号が送られているとは考えられないだろう。だから、宇宙線だとする説が有力だ。宇宙から飛来する粒子になる。普通の電波なら遮断は簡単だが、宇宙線を遮るには水で満たされた地下の水槽が必要だ。たまたま、廃棄された坑道で条件に合うところが見つかった」
 ガラス容器内に作られた過飽和の霧の中で、宇宙から来る放射線が軌跡を残す写真を見た憶えがあった。あれを遮ることができるのだろうか。
「そこに潜るのか」
「坑道を水没させて、水中に遮蔽材で内張りされた部屋を設ける」
「大がかりだな」
「根本原理に関わる重要な実験だ。被験者に応募してみないか」
 急なのでぼくは少し驚いた。
「難しい実験じゃないし、悪くない手当が付く。おれの研究成果にもなるんだ」
 友人の手助けをしたいとまでは思わなかったが、実験に対する興味はあった。週末の一昼夜泊まり込むだけで終わるという。坑道は近くの古い鉱山にある。被験者はできるだけ多い方が良く、他にも募集をかけているらしかった。

 *

 まどろみから覚めると、すでに何日も過ぎた気がした。
 見知らぬ部屋で、ぼく一人しかいなかった。
 他の被験者はどこにいるのだろうと、ぼんやり考えた。腕には医療器具が付けられていたが、しばらく意味が分からなかった。
 何も考えられず、視界そのものも歪んで見えた。
 いったいどこなのか、何をしているのか。
 遠くでベルの音がした。その後に、誰かの足音が聞こえてきた。
 白衣の医師とともに、硬い表情をした友人が入ってきた。
「気がついたか」
「今日は何日だ」
「実験開始の日から一週間経っている」
「そうなのか」
 ぼくは答えた。
「何があった」
「被験者は全部で十人いて、別々の遮蔽室に入ってもらった。ここまでは覚えているだろう。扉を閉めた直後に、全員が昏睡状態に陥った」
「みんな回復したのか」
「いや」
 友人は言い淀んだ。
「おまえ以外はだれも助からなかった」
「死んだのか」
「緊急搬送された時点で、心臓が止まっていた」
「なぜぼくだけが」
「おまえの遮蔽室には欠陥があった。開始直後に係留索が外れて水面に浮き上がって破損した。そのせいだろうと考えられている」
「どういうことだ」
「おまえの場合、遮蔽はほとんど働かなかった。だから助かった。実験では大きな犠牲が出たが、アルファ部位はきわめて短時間の意思しか保持できないことが分かった」
「つまり、どういうことなんだ」
「外部から届く信号を失うと、完全に途切れた瞬間に人間は死ぬんだ。人は生きる意思そのものを含めて、外からコントロールされている」
 友人は一呼吸置いてから続けた。
「われわれの意思は、宇宙から来る電波が決めているんだ」
「電波が運んでくる意志というのは、いったい誰の意志なんだ」
 ぼくはぼんやりと口にした。
「……それは、分からない」
 友人は力なく答えた。
 事故のあと、この出来事は広く知られるようになった。社会は少しずつ変わり始めた。
 アルファ器官は神の装置と呼ばれ、宇宙線は天の声と俗称された。
 中世に戻ったかのように、創造主の存在が人々の意識を占めるようになった。科学への信頼は低下した。いまの科学では、不規則な宇宙線の信号を分析する手段がない。
 地上まで届く宇宙線は、ほんの一部だけだという。
 届かないかもしれない信号に、意味を含める方法があるのかないのか、見当もつかない。それは単にわれわれが、創造主の為すことを理解できないだけかもしれない。人間は創造主の操り人形で、単なる手足に過ぎないのかもしれない。
 だが一方で、もともと宇宙線には何の意味もないと考える一派が現れた。彼らは外套を脱ぎ捨て、色とりどりの襤褸を着て街角に立った。
 異端の考えだった。世界の成り立ちを覆す思想だ。
 一派は取り締まりの対象とされた。だが、思想に同調するものは少なくなかった。暴動が起こり、鎮圧のための暴力がまた次の暴動を誘った。
 長い間争いがほとんどなかった社会は、安定を欠きぐらぐらと揺れはじめた。
 ぼくは被験者の中で、ただ一人の生き残りだった。それだけの理由で、平凡な官吏になる道は断たれ、あたり前の生活には戻れなかった。決定していたはずの明日が閉ざされたのだ。いや、もともと決定などしていなかったのかもしれない。
「われわれはこの世界が、あらかじめ決定されたものであると教わってきました。始まりから終わりまでがすでにあり、われわれは決まった筋書きをたどるだけでした。
 そこに、神の装置の存在が明らかになりました。装置は創造主の声を聞き取り、われわれに次の行動を命じるものでした。しかし、もし装置がその時々の信号を受けて行動を決めるとするなら、世界を律する因果関係は外からの干渉により変化することになります。
 ただ一本のはずの因果の糸で、原因が糸の外に起因することはありえない。なぜなら、外部からの命令を受け取るたびに、複数の糸が紡ぎだされることになるからです。一つに決定された明日は、もはや約束されないのです」
 暗い穴倉に似た倉庫の中で、ぼくは何人いるのかよく分からない人々に向かって話していた。摘発を恐れ、集会は陽が落ちてから行われることが多い。これほどの人数が集まるのは珍しかった。
「神の装置の発見の契機となった実験の日、わたしは隔離された部屋に入りました。遮蔽が不完全で、たまたま死を免れたのですが、意識を失う寸前に奇妙な光景を見たのです。
 無数のわたしがいました。それぞれが未来のわたしのようでした。一人は変わらぬ生活を送り予定された明日を生きていました。もう一人は襤褸をまとい、端切れの旗印を掲げ不幸な生活を送っているようでした。さらに一人は世になく存在の影も見えませんでした。一つの未来ではなく、でたらめな未来です。おそらく、わずかな隙間から神の装置にノイズのような信号が紛れ込んだせいでしょう。
 神の装置とは、刺激に基づいて乱数を発生するだけの装置なのです。われわれの意志は、乱数から生まれることになる。だとすると、決定された明日などないのは必然です。いや、そもそも因果に基づく世界などないのかもしれない。われわれの未来、結果である未来は、われわれの知る原因で決まるのではありません。きまぐれな信号による、単なる偶然によって決まるのです」
 暗闇からざわめきが立ち上った。
 怒りより、不安を訴える声が多数を占めていた。明日があるかどうかの不安、決定した明日、安定した明日を希求する叫びのようだった。