円環

 日が沈んでから六時間が経っている。
 Hは目を覚ます。部屋は蒼い常夜灯が灯るだけで暗い。分厚めのカーテンは閉じられている。
 起き上がり、トイレに向かい、洗面台で歯を磨く。
 居間のドアを開く。
 灯りをつけ座卓に腰を下ろすと、ディスプレイを点ける。
 眠気が失せると、浴室でシャワーを使う。籠に投げ込まれている下着に着替え、その後は食事をとる。機械的にスーツを着て玄関を出る。
 街灯が多い住宅街だが、空はまだ暗い。
 電車はそこそこ混み合っている。疲れた表情で居眠りをしたり、つり革を掴みながらも目を閉じている乗客たちがいる。疲労が溜まっているのだろう。都心に向かって、電車は乗客を増やしながら走って行く。
 陽が昇るまで時間がある。
 仕事のペースが上がったころ、ようやく窓から光が差し込むのを見るのが日常だ。同僚たちは、ばらばらと出社してくる。
 一日で、もっとも疲れが出てくる時間帯だ。
 働き詰めで気がつくと、昼になっている。眠気に襲われるようになるころには、陽は高く昇っている。ここを乗り切れば、あとしばらく働くだけで仕事も終わる。
 Hは退社する。退社は、同僚たちとほぼ同じだった。
 昼間に比べれば、気温が下がっている。
 まだ明るい時間に帰宅する。食事を終え、顔を洗うともう就寝時間だ。ようやく日が沈み、暗くなってくる。

 ときどき、Hは産まれたばかりの自分を思い出す。といっても、それはスナップショットのような動きのないシーンに過ぎない。
 口をマスクのようなもので覆われ、ぐったりと眠り続ける姿だ。
 自分自身を見ているのだから、それを自分が記憶しているはずがない。ただ、施設で産まれたのは確かだった。そこで、吸入器を着けた治療が行われたのかもしれない。先入観から生まれた錯覚なのだろう。
 Hは病院と隣接する養育院で生活した。そこには就業年齢に満たない、要加療者たちが収容されている。この年代は健康状態が良くなく、完全看護が必要になることもある。同じような仲間がたくさん共同生活していたはずだが、そのころ何があったのか判然としない。
 五歳頃までの記憶はでたらめだった。断片的で不連続なイメージが甦ってくるだけなのだ。成長するにつれ、ようやく記憶も筋道だったもの、明晰なものに変わっていく。Hは体が弱かった。療養するなかで、日を追うごとに良くなっていったが。

 HがIと出会ったのは十歳だ。混み合う待合で、隣り合わせが多かった。
「よく顔を見かけるな」
 Iから声をかけてきた。
「あれ、そうだったっけ」
「おいおい、いつも隣に座ってる」
「ああ、悪かった。周りは気にしないんだ」
「注意散漫だな」
 年齢を確認すると、同い年だった。
「なんだ、もっと年が離れているかと思った」
 妙にきつい視線で、相手を睨みつけるように話す小太りの男だった。怒っているのではなく、目が悪かったのだとあとで知った。口調の遠慮なさには辟易したが、悪意はなさそうだった。
 それから話をするようになった。
「科学者になる」
 Iは断言した。
「えらく自信がありそうじゃないか」
「きみだって、もう自分の仕事ぐらいわかるだろう」
「おまえほど、はっきりしてないよ。事務仕事かな。大きな会社を管理するような」
「つまらない仕事だな」
「おい、好き好んで選べないだろ、そんなこと」
「自分の知識をどう生かすのかは、きみしだいじゃないか」
「簡単に言うな。おれは学者にはなれない。もって生まれたものには制約がある」
 Iはその答えを聞くと、何かを思いついたのか急に黙り込んだ。

 Hは一五歳で養育院を出ると働きはじめた。
 最初は体が付いていかず苦労した。短期の雇用が続き、その間、何回も仕事を変わった。収入はほとんど増えなかった。
「まあ、今はご奉仕の期間だ。我慢するしかないのかもしれない」
 休日にIと話すと、つい愚痴が出る。
「少しづつ良くなっていく。明日はもっと良くなる。世の中そういうもんだ」
 Iは陽気な口調で返す。
「どうしてそんな楽観的なことがいえる」
「歳を取れば良くなる。社会の仕組みはそうなってる」
「一般論だな。少なくともおれは楽じゃない」
「お前だけじゃない、誰でも今ごろはそうなんだ」
「なんだ、なぜそんなことが分かる」
「どうしようもないことで悩まないだけだ。無意味だろう」
「斜に構えていやがる」
 声高に議論しても、どうせ、かたくなな友人は認めない。
 衣食が足りて、狭くても住むに困らなければ楽観的になれる。ただ、それにはIが言ったように、明日さらに良くなるという見透しが必要だ。将来が保証されないのなら安心などできない。
 同じ時期に働き始めたIは、最初から研究機関に職を得た。もう、その先に広がる将来が見えているのだ。

 職場を転々としながら五年が経った。
 職種は限られたが、ようやく長期任用社員に採用される。
 正社員になっても、Hの収入はなかなか増えなかったが、十年勤続したある日、管理者に昇格する。給与は一気に増え、責任のある地位を与えられた。複数の部下が付き、会議が増えて、社内での忙しさがあたり前になった。
 ようやく知識が活かせる仕事になったのだ。
 だが、その頃からいないはずの人物を感じるようになる。
 管理者になると、相応の住宅が斡旋される。一人で住むには広すぎる、戸建ての住宅だった。コンパクトな中庭もあった。四方を建物で囲まれた中央に、採光用の坪庭があるのだ。
 家の中で誰かの気配がする。
 帰宅すると、台所についさっきまで人がいたような雰囲気がある。居間のソファに座っていた凹みがあり、浴室に使われたあとの水滴があったりする。ただ、本当にそうだったという証拠がない。汚れた食器や、排水溝の髪の毛も、自分のものしか見つけられなかった。
 人の記憶には二つの種類がある。さまざまな知識の集積である意味記憶と、実際には存在しない予告記憶だ。
 後者は不可解な記憶の集合だった。
 全く覚えのないさまざまな事件、エピソードが乱雑に混じり合って思い出される。一番多いのは、会ったことのない人の記憶だ。忘れているのではなく、そんな人物とはこれまで出会っていない。名称通り「仮の」記憶であり、将来のどこかで、現実になることが予告されている。
 気配はなくならない。
 見たことのない風景の中で、その誰かといた記憶が浮かび上がる。どこだろう。赤い花が咲き乱れる広い庭園のような場所。中央には噴水があり、あふれ出た水が池のふちを越えている。音はしない。
 ひどく懐かしい気持ちになる。ずっと昔のことだと思う。
 けれど、明らかに錯覚なのだ。
 たまたま空いた休日に、HはIと話をした。Iの勤める研究所のラウンジだった。Hが管理者になるより数年速く、Iは筆頭研究職に就いていた。
「最近分からなくなった。おれたちの記憶は、そもそもなぜある」
「産まれた時からあるものだ」
「なぜそうなんだ」
「記憶だけを見るから奇妙に思うのだろうが、われわれの体の機能と同じだと考えれば理解できる。臓器の働きは、産まれた時からすべてある。内臓の機能は細胞ごとに決まっている。誰に教えられたわけでもない」
「しかし、おれが憶えているのは、はるかに抽象的な内容だ。複雑で理屈を考えないと出てこないものもある。習ったわけでも、誰かから聞いたわけでもない。それが自然に生まれるのか」
「きみが話すにしては哲学的な議論だな。しかし、われわれが存在する前提条件を疑うとなると、簡単には説明できない。きみにわかるように単純化しよう。まず、われわれはストックを持って生まれてくる。そのストックを生きる対価に換えて生きている。あらゆる生き物はそうしたメカニズムで産まれてくる。ただ、持っている中身が違っている。空を飛ぶものは飛ぶことを知っているし、泳ぐものは生まれついて泳げる」
「それなら、予告記憶はどうだ。意味がない記憶もあるのか」
「予告記憶というのは一般的な俗称にすぎない。必ず起こることとは言えないからだ。あいまいで不確かな記憶だ。ジャンク記憶と呼ぶべきものだろう」
「ジャンク」
「ゴミだ。意味のない、一貫性のない記憶の集合体だからな。現実化したと思っても、錯覚だったのか本物の予告だったのか判然としない。検証できない以上、科学的にはゴミと同じだ」
「記憶には、ゴミと意味あるものが混じっているのか」
「何に意味があるかは、人によって考え方が違うが、情動をともなう記憶の大半はゴミでしかない。意味があるのは客観的な事実だけだ」

 Hは三十五歳になった。
 陽が長くなったある日、仕事を終えて帰宅途中に、HはJと出会った。
 Jはこちらを見て立ち止まっていた。
「きみなのか」
「そのようね」
「昔から知っていたような気がする」
「でも、そんなはずがない」
 そう言ってから二人で笑った。
 確かに、細かい話をすると「記憶」とのさまざまな食い違いはあった。それでも、短いやり取りの間に、予告された相手なのだという思いが強くなる。少なくとも、二人はそう考えた。数日の後、二人はHの住居で同居を始める。
 もともと感じていた気配とJの雰囲気が同じだったかは、一緒に住み始めたころには分からなくなっていた。ただ、Hにまとわりついていた不安は薄れる。一つの不確かな予告が決定して、どこか安心が得られたのだ。
 しばらくは穏やかな日が続いた。仕事も順調だった。難しいプロジェクトを何件もこなしながら、忙しい毎日を過ごした。
 けれど、年が進むにつれて、自分の知識の剥落を実感する。
 冷静に考えるより、情動に任せるようになり、失敗が増えてきた。二人の生活でも、暗黙に了解しあえることが減って、時に口論をした。

 Hは四十五歳になった。
 この年、Hは管理者を解かれ、現業職となった。それはむしろ望んでいたことだった。仕事の範囲は狭まり、自分の担当だけで済む内容に変わった。部下も減り、人間関係の調整も必要なくなった。
 責任の重圧が減ると、少し余裕ができた。
 何年かに一度だったが、HとJは二人で旅に出た。
 すると、そこには噴水のある公園があった。公園の周囲には木が茂り、赤い花が咲き乱れていた。
「ここは、見たことがある」
「来たことがあるの」
「いや、そういう記憶がある」
「そう」
「そこに、きみも居たけどな」
「わたしにも記憶はある。でも、花は黄色かったし、もっと広いところだった」
「ちょっと違うな」
「あなたといたのかどうかも、憶えていない」
 Hは思わず訊いた。
「別の誰かなのか」
「ああ、分からないよ、そんなこと」
 Jは笑って答えた。
 年を追うごとに、仕事の内容は単純なものが多くなった。Hの部下はいなくなり、別のグループの下に入った。管理者の指示による作業だった。
 久しぶりに、HはIと会った。
 Iも配下の研究者が減り、一人で研究を進める立場のようだった。
「歳を取るたびに知識が薄れていくな」
「意味記憶は年齢と強く相関する。四十台後半を過ぎると、減少の度合いが大きくなっていく」
「しかし不思議な話だな。産まれた時にすべての知識があって、毎年それが引き剥がされ、最後にゼロになる。バランスがよくない一生じゃないか」
「そうだろうか。産まれた時がゼロだったらどうなる。働けるまで、誰かの手助けを借りないといけない」
「養育院がある」
「あそこは体力をつけるだけの施設だ。知識をインプットする教育までとなると、莫大なリソースが必要だろう」
「だとすると、その膨大なインプットがどこかで行われているわけだ。ここではないどこかでだ」
 Hは、産まれたばかりの人々が、養育院に運び込まれる様子を何度も見てきた。
 痩せ衰え、皴だらけの醜悪な姿で、声を上げる体力さえない。人によって異なるが、立てるまで回復するだけで五年、十年と掛かるのだ。知能があるとさえ思えないありさまだった。それでも、就業年限になる頃には、頭も体も問題なく動くようになる。
「われわれがどこから来るかは、まさに哲学的な問題だな」
「どうせ、答えはないんだろう」
「答えはないが、面白い考え方がある。きみは振り子の運動を見たことがあるだろう」
「重りを付けた紐のことか」
「振り子は往復運動をする。正面から見て右に揺れ、ある角度まで上がると、方向を変えて左の同じ角度まで上る。そういう繰り返し運動をする」
「それがどうした」
「人の一生は、ふつうは川の流れのような一方通行に例えられる。産まれてから死ぬまで、上流から下流までというわけだ。しかし、そうではないという考え方がある」
 Iは紙を出すと、ペンで大きな円を描いた。
「円だ。人生は円だというのだ」
「円、でも円だと始まりも終わりもない。どこが一生なんだ」
「円運動のうち半円分だけをみる。頂点から真下までの円周を一生とみなす。上から下までだ」
「それなら、残りの半分はなんだ」
「真下まで来たら、次は半分の側を上に向かって進む。頂点に達したら終わりだ。これが反対側の一生だ」
「わからん。その二つの一生がなぜ一つの円運動になる」
「表側の人生では人は知識ゼロで産まれる。そして、しだいに知識を集積しながら、最後は死ぬ。すると、知識を保持したまま裏側の人生で産まれる。そして、知識をすり減らしながら生き、最後はゼロになって死ぬ。再び表側でゼロで産まれる。円運動を真横から見ると、それは振り子の運動と同じに見える。上がっては下がり、向きを変えて上がっては下がる」
「何を説明したことになるんだ」
「きみが疑問に思った知識がどこから来るのかの答えだ。円を描く中で知識はいったんゼロにリセットされる。その結果、表側の人生では記憶は残らないが、裏側では表側の記憶が残ったままになる。つまり、ここは裏側の人生だ」
「ばかな、それが科学者の考えか」
「残念ながら違う。検証ができないものは科学ではないからな。ただ、答えのない疑問に対しては気休めになるだろう」
「何が気休めだ」
 Hは吐き捨てたが、Iはいつもより気弱な笑いを見せるだけで何も言わなかった。

 Hは五十八歳になった。
 体力が増し代謝が向上する一方、知識は仕事現場で生かせないものばかりになった。感情的になる度合いも増えた。
 そして、二十年以上暮らしてきたJと訣別する。
「もうちょっと一緒に居たかったけど、もう終わりだね」
「そうだね、でも潮時だよ、いまぐらいが」
「そうかな」
「じゃ、さよなら」
「さよなら」
 二人は手を握り合い、一瞬笑みを浮かべただけで離れた。二度と会うことはない。
 また一人になった。
 会社でできることも減り、Hは六十三歳で会社を辞した。
 仕事を失うと、七年の間、遊学院で生活を送る。そこでは、体力を落とす運動と、知識の忘却を学ぶ。どちらも、引退後の生活には必要がなくなるからだ。遊学院を終えるころには、もう一人での生活が難しくなる。
 最後の十五年間は、終末院で終えるのだ。毎年体重は減り、身長も縮んでいくだろう。知識の剥落は勢いを増す。最後期にはもう意識も保てないだろう。
 その後は、どうなるのか。
 次の人生はゼロから始まって、記憶を蓄えていくのか。果てしないと思えるほどの一生の記憶を。
 そして、Jとの記憶を。

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