流れついたガラス

 この物語の主人公を、仮に少年Tと呼ぶことにする。大学生ではあったが未成年なのだから、少年と言ってもおかしくはない。
 少年は、神戸のとある大学の一年生だった。
 彼は昼下がりの教室で、懸命にガリ版を切っている。鉄筆をやすり板に押しつけながら、一文字一文字をロウ原紙の升目に埋めていく。原紙はパラフィンと和紙の繊維から出来た半透明のものだ。
 薄いが丈夫で、鉄筆でなぞると微細な孔ができる。この孔にインクを通すことで印刷ができる。つまり原版になる。これを孔版印刷とも、謄写版ともいう。紙を原版に使うので、大部数の印刷には向かない。その分手軽で、軽印刷ではまだ多く使われていた。
 鉄筆は鉛筆で書くようには動かず、文字は思い通りの形にならない。小さくなったり歪んだりする。
「どうや、いけるか」
「うーん、しんどいですけどね」
「まあ頑張りぃや」
 覗きに来た先輩に苦笑いを返す。
 七月だ。
 梅雨はまだ残っていたが、夏の温気がキャンパスを包みこんでいる。開け放した窓からは蝉の声が聞こえ、蒸し暑さが増していた。Tは噴きだす汗を拭う。
 景色で大学を選んだわけではないが、少年は高台の古い校舎から見る港が好きだった。毎日そこまでの急な坂道を登ってから、また教養部まで下る。たくさんの船が見え、西には埋め立てが進む人工島も見晴らせた。島の輪郭はできていたが、完成までまだ時間が掛かる。
 それより、市街地の夜景が華やかだった。光の連鎖が、夜の帳に浮かび上がる。大回りして下り、山の斜面にへばり付く教養部の眺望はいまひとつだ。東側に大阪湾の一部が見えるだけなのだ。
 少年Tは同好会に属している。部室はない。教養部の暗い空き教室が作業場所だ。会の所有品は鉄筆とやすり板だけで、謄写印刷機は大学の備品を借りていた。
 事務所の輪転機が使えればよいが、たいていはローラーを手で動かす手刷り機だった。どうせ、一つの版で何百枚も刷るわけではない。
 最近は技術も進んでいる。ボールペンで書いた文字がそのままガリ版で使える原紙や、コピーした絵をスキャンして原紙にしたりも出来る。
 しかし先輩は文字が潰れるからと、鉄筆の使用を奨める。実際、先輩の操る尖った鉄の筆は、繊細な線が再現できる。少年もその技を真似てみるが、上手くはいかない。
「絵を描いてるんですか」
「アリシア・オースティンの絵の模写や」
「なぞってるんですか」
「線画やからね、この細かさが大事やねん」
 謄写版の印刷にはザラ紙を使う。茶色いザラ紙は繊維が粗い分、白い上質紙よりインクの吸収が良かった。学校の配布プリントに使うような紙だ。百枚の束で手軽に買うことができた。その紙が断続的にしか入ってこなくなった。
 毎日、大学生協の文具売り場で、ヘルメットのグループと奪い合うように買い漁った。他のグループも使うのだろうが、これだけまとめて買うのは珍しい。
「こんなに何するの、アジビラ?」
 レジ打ちがいぶかしげに聞く。
「あ、いや違います」
 今度の同人誌は分厚い。少なくとも五千枚は要る、五〇束だ。
 入学してすぐ、少年は大学にSF同好会なるものがあることを知った。無数にサークルの勧誘ビラが貼られている中に、マンガのイラストが描かれた小さなポスターが埋もれていたからだ。説明文はない。
 サッカーとかアメフトとかの体育会系みたいに、部名だけで一目瞭然とはいかない。航空研のグライダーならイラストで十分だろう。しかし、マンガでSFと書いてあって誰がくるんだろう。何をする集まりなのか、得体が知れなかった。
 大人向けのSFは中学生から知っていたが、親友と別々の高校に上がってから、同好の友人はいなかった。本はただ買うもの、一人で読むものだった。
 集まってどうするんだ、感想でも言い合うのか。
「この会は読むだけの会やない。みんなで訳すんが特長や」
 入部説明会では、先輩がアメリカのニュースレターを片手で持ちながら力説した。
「洋書はなんぼでも出とるけど、翻訳はさっぱりや。自分で訳して、自分で紹介する他ないんや」
「みんなが、ですか」
「そういうことやね」
「翻訳なんてしたことないですよ」
「いける。だれでも最初は未経験やからな」
 先輩が持っていたのは、見たこともないニュースレターだった。日本で流通する海外の情報の元ネタなのだという。編集者の名前はチャーリー・ブラウンだった。
 え、もしかすると。
「スヌーピーと関係あるんでしょうか」
「あるわけないやろ」
 アメリカの同人誌みたいだった。
 八ページしかない紙面の中には、びっしりとタイプ打ちされたニュースが詰め込まれている。ヒューゴー賞やネビュラ賞の候補作が細かく決められていること、聞いたこともない出版社の新刊情報や、知らない作家の訃報、どこで行われているのかも知れない世界大会の情報など、専門雑誌の小さなコラムでは省かれてしまう内容が満載だった。
 日本では売っていない。定期購読しないと買えないが、手数料や送料まで含めると、とても高価になる。何より送金手続きが大変だった。バカ高い銀行の海外送金を使うか、郵便局で国際郵便為替を組むかだ。いまは先輩が購読する一部だけが頼りだ。
 しかし、これを回覧していては時間がかかる。一旦コピーを取って透過液を塗り、さらに湿式の青焼きで焼き増すのだ。青焼は、ジアゾ系の感光材が塗られた複写紙で安い。古くから図面の複写用だったものを、高い普通紙コピーの代わりに使う。
 すごいノウハウだ。少年は感心する。
 知らないことがたくさんある。
 少年Tはこのコピー欲しさに入会を決める。ところが、同学年で残ったのは少年だけだった。しかも、先輩は三人しかいないらしい。
「去年立ち上げた時は、女性会員もいて、これ以外に四人いたんだけどね」
「どうして、来なくなったのですか」
「まあ、趣味の違いじゃないの。SFといってもいろいろだし」
「はあ」
 洋書持ちの先輩と、クラーク好きの先輩、二学年先輩は学外のファンとも幅広く付き合いがあるようだった。みんな個性が強く、独特の主張をする。確かにいろいろだった。
 少年TたちはSF大会に向けて同人誌を作っている。
 SF大会がどんなものなのか、Tはよく知らない。専門誌に簡単な紹介は載るのだが、雰囲気や内容など、行ってみなければ分からないことばかりだ。
 二年ぶりに大会が京都で開かれる。去年は北海道で予定されていながら、交通網の混乱で結局中止になったのだ。

 もう一年が過ぎた。
 あの日、少年Tは高校の教室で授業を受けていた。
 今日と同じような暑い日で、窓は開け放たれていたが、風はほとんどなかった。まもなく夏休みに入ろうという、なんとなく落ち着かない日だった。
 はじめ、窓枠や教室中が縦方向に揺さぶられた。そのあと、とてもゆったりとした横揺れがきた。長周期で、船酔いしそうな波に乗っているような揺れ。悲鳴が上がった。長い揺れだった。立ち上がろうにも、足がもつれるようだった。
 ただ、校内では、吊り下げられていた額などが落ちたぐらいで、大きな被害はなかった。授業はそのまま続けられた。
 少年が被害を知ったのは、放課後に家に帰った後だった。
 震源は一五〇キロも離れていた。
 震災では大勢の人が犠牲になった。五千人が死んだ十年前の伊勢湾台風から見ても、桁違いの大災害だった。倒壊した家屋、寸断された道路、えんえんと続く瓦礫の山は、新聞の大見出しになっていた。
 去年は、社会全体に漂流するような不安感が広がった年だった。
 土地の投機に起因するインフレの波がまず起こった。物価が恐ろしい速度で上がっていった。中東戦争の煽りで石油価格が暴騰した。欧米の石油メジャーが力を失い、アラブ産油国が主導権を握ったのだ。安い石油を源泉とする世界経済は、足下から揺らいだ。生活日用品がなくなり、景気が悪くなる。紙もその一環だ。トイレットペーパーが無くなり、小さな出版社は本が出せなくなった。そして、震災は文明の陥穽を露わにした。
 小松左京の『日本沈没』が、戦後最大のベストセラーになった。
 荒唐無稽と思われたSF小説が、一転、現代の予言書に変貌したのだ。ふだん本を読まない人々までが、競って『日本沈没』を買い求めた。
 無限成長するはずの、確固とした基盤と思われたさまざまなものが、ぐずぐずと崩れ去った。未来はいまの方向にないのではないか。
 昨日より今日は良くなる、明日はもっと豊かになる。二十年続いた成長神話に、明確な翳りが見えた年だった。

 少年Tはコピーされたペーパーバックの紙面と、原稿用紙を見比べる。
 普通紙コピーは安くないが、借りた本を傷めるわけにもいかない。
 少年が翻訳するのは、サミュエル・ディレーニイの小説だ。ゼラズニイと共に紹介されたニューウェーヴの新鋭作家で、数年前に出た長編『バベル=17』は読んでいた。著者が黒人、物語の主人公は女性でアジア系、すばらしく未来的だった。
 スタイルで決めるゼラズニイよりも、そのかっこよさの理由が分からない(でも、かっこいい)ディレーニイはTには少し難解だった。何か隠された意図があるようだった。
 先輩からは、シグネットという出版社から出たペーパーバックを渡された。白い表紙で、鮮やかな羽根飾りを付けた半裸の男が座り、その体に女が描かれているというイラストだ。宇宙船もロボットもいない。妙にあか抜けて、しゃれた絵柄だった。
「ディレーニイの最初の短編集や」
「ディレーニイって、いくつでしたっけ」
「今年で三十二歳やな」
「へえ、意外に大人ですね。同年代くらいと思ってました」
 ディレーニイは二十歳で長編デビューしたのだ。その作品はまだ翻訳がない。
 少年は考えたあげく、著者が二十五歳のとき書いた表題作を選んだ。全部を読んで判断できるほどの英語力はない。一ページ目を読み、分量だけを比べて決めた。
 一つずつ単語を調べながら、翻訳らしきものを試みる。特集の一つとなる短編で、他に長い中編小説や評論も載る。何しろ部員は四人しかいない。穴を空けるわけにはいかないのだ。

 *

 物語は、浜辺に主人公が降りていくところから始まる。
 主人公は中年の男性で、もう三十一歳になっている。過去にあった事故で体を痛め、仕事を引退したのだ。
 男は海岸で少女と出会う。少女は十六歳。海底でも呼吸ができるスーツを着た両棲人だった。少女は、男が語り伝えられる大事故の生存者だと気がつく。
「ドリフトグラスを知ってるか」
「知らない、なんのこと」
「ほら、その足下をみて」
 そうして、男は水際から乳白色の小さな石を拾いあげる。
「これが、ドリフトグラスだ」
 少女の背景には、黒々とした巨大な建造物が見える。海岸には古い護岸の跡が残っている。もう砂に埋もれてはいるが、周辺にあっただろう施設のための岸壁なのだ。建物は石の棺と呼ばれている。二世紀も前の遺物だ。周囲に人気はなく、しんと静まり返っている。
 この沖に発電ケーブルが通るのだ。それは世界に無限のエネルギーを供給しようとする、壮大なプロジェクトだった。エネルギーの平等は、貧富の差を最小限にする。けれど、海底ケーブルの敷設は危険な作業である。男も過去に大怪我を負った。
「濁っているように見えるだろう、でも、こうやって水に帰すと」
 男は、海水に石を浸す。すると、ガラスのような透明に戻る。
「ほんとだ、これがドリフトグラスなのね」少女は面白そうに言う。
「天然のガラスじゃない。人が捨てたガラス瓶が割れて、海底を流されるうちにこんな石に変わっていく。人の作ったものなのに、自然と同化したガラスになる」
 水平線のかなたには、大きな風車がいくつも見える。直径が二百メートルもある風力発電機だ。そこに沿ってケーブルが敷かれる。
 少女は、海底で働く作業員だった。この時代では、少女の年でも働くことが普通なのだ。
 後ろには、廃墟となった発電所がある。遮蔽のための、のっぺりとした外構の中に、当時運転を開始して四年目という新鋭の発電所が封じ込められている。

 *

 ちょっと待て、なんの話だ、こんなこと書かれてないぞ。
 夢の中でダメ出しをしながら、少年Tはふっと目を覚ます。
 窓の外が明るくなっていた。昨日は徹夜に近い作業をした。うたた寝をしてしまった。翻訳も、ようやくできたばかりなのだ。無意識の中で、フィクションとも現実とも区別できないものが混ざり合っていた。
 Tはガリ版作業に戻りながら、書かれていない物語を反芻する。夢の物語はたちまち分解し、言葉の断片に霧散してしまう。
 印刷用紙の束は先輩が保管している。
 Tは毎日、国鉄の高架線路を通り抜けたところにある下宿まで行き、紙袋に入れて運び出す。商店街を通り、車がすれ違えないほど狭い道沿いに、戦後すぐ建てられた老朽アパートがたくさん並んでいる。
 どれも薄汚れ、軒が傾いて見えた。住んでいるのは学生か、若いサラリーマンたちだ。
 玄関で靴を脱いで上がる。暗い共用の廊下があり、木製のドアが並ぶ。その一つを開けると、入り口から本棚が詰まっている。出来合いのスチールラック製で、本が横置きで積み上げられている。そこには、洋書がたくさんある。
 Tも入手先を教えてもらった。
 国鉄の駅正面、大きな百貨店に隣接する複合ビル。西ドイツ領事館や大ホール、ホテルが入居している。その建物の一階に、小さな洋書店が入っていた。薄暗い店内は、高価なハードカバーが中心だったが、新刊ペーパーバックも置かれていた。
 繁華街のアーケードには、文具を扱う老舗書店がある。ワンフロアが洋書売場で、ジャンル別に各種の洋書が並べられている。ここは知っていた。高校時代に冷やかしに来て、訳も分からず一冊だけ買った。ムアコックのメイフラワー版ペーパーバックだった。専門誌で見た情報を思い出して、ああでもないこうでもないと一時間近く悩みながらの買い物だ。
 すぐ近くの大通りには、アメリカ雑貨の店もある。洒落た洋雑貨に興味はないが、直ぐ売れてしまう回転スタンドのペーパーバックは見逃せない。ただ、どこも安くはなかった。
「バイト代、つぎ込んどるからな」
「すごいですね」
「まあでも限界やな、今年になってからがきつい」
 書店にはドルやポンド表記と、円価との換算表が貼られている。輸入手数料を含めるため、ドルやポンドのレートの二倍ぐらいになる。為替レートだけなら一ドル二五〇円換算なのに、その倍の五百円が輸入価格になるのだ。変動相場になったばかりだが、震災以来、円の価値は下がっていた。最近は六百円を越えている。
 部屋はささくれ立った畳敷きだ。ラックが前のめりに傾いている。
「ぎしぎし音がしてますよ」
「大丈夫やろ。前の地震でも倒れてへんしな」
 瀬戸内側での震度は中震程度だった。相当揺れていると思ったが、関東のように地震慣れしていないだけなのかもしれない。

 それでも一年がたつと、直接の当事者ではない震災の記憶は、時間が経つにつれて遠くなっていく。だが、その影響を受けた重い空気の一端は、まだ湾岸でも感じられる。去年からネオンが消え、テレビの深夜放送が自粛されるようになった。日用品の欠乏も顕著になってきた。
 週刊誌は、今年の国民総生産が、マイナス二桁にもなると書いた。社会全体が、急激に衰えているのだ。要因はさまざまにある。エネルギー資源と物価の高騰、道路や鉄道の喪失、大量の被災者の発生、北陸一帯のコメを始めとする農産物への影響。
 半径三〇キロの封鎖区域を描いた地図を見たことがある。その外側に、当初の八〇キロの円が引かれている。京都市までとどく巨大な穴だ。
 まるで「物体O」だと少年は思った。小説では、ある日、日本列島の上に巨大な円環が現われる。円環は、その下にあった首都を押しつぶしてしまう。円環=Oは、直径一千キロ高さ二〇〇キロにもなる、何ものも寄せ付けない不可侵の壁だった。
 しかし現実の境界は壁ではない。今でも境界を越え、季節風に乗った汚染物質が、近畿一円まで届くらしい。汚染にかかわる噂は、誰が流したのかも分からないまま、間歇的に流布される。
 受験生だった少年は、新聞やテレビ、何よりラジオで語られる断片的な解説をいくつも聞いていた。お互いが矛盾する解釈は、よく分からないものも多かった。

 原紙を一枚ずつ謄写版にセットし、インクを広げ、ローラーを転がす。一回で一面二ページが刷れる。ムラが出ないように慎重に調整する。失敗したらやり直しだが、無駄にできるほど用紙に余裕はない。
 それを原紙百枚分繰り返す。目標は百部だ。一枚ずつにストックしてある反故紙を挟み、裏写りしないようにする。一面が刷れたら、次はその裏を刷る。
 四ページを一折にして二十五折、百ページ分積み重ねれば一分冊分だ。糸綴じにはできないので、活版のように十六ページ単位とかはできない。製本できる限界もあって、上下二分冊にしている。これに色画用紙の表紙を組み合わせ、本文の背に接着剤を塗って貼り付ける。背の分厚さが均一になるよう、丁寧に折り目をつけておく。
 完成したら、最後は手動の裁断機、押し切りで上下を断ち切る。手で製本するので、どうしても丈がばらつく。高さを整えるのだ。
 組版、印刷から製本まですべて手作業だった。

 深い夜の時間だ。
 冬になる手前、日中は快適でも陽が落ちると気温が急に下がっていた。窓のカーテンも閉め切られている。Tは連日三時過ぎまで起きていた。受験勉強と称してはいたが、深夜放送を集中して聴くこともあった。
 決まったパーソナリティからではなく、ゲストの一人だったように思う。誰だったか、名前まで憶えていない。
「事故には二つの原因がある。
 一つは隠された断層だ。発電所は立地調査の段階で、地層を調べ、活断層の有無を確認する。しかし、断層のすべてが分かるわけではないし、見逃されるものもある。今回は直下にあった知られていない断層が大きく動いた。この破断によって、まず原子炉建屋の損壊と、外部電源との接続が失われたようだ。
 発電所は燃料を常に水冷する必要がある。だから水辺に建っている。水を送るモーターには自前の電力を使うが、非常停止した場合、外部の電気を必要とする。
 だが、この時点で炉と外部電源とを結ぶケーブルが破損していた。さらに、緊急冷却器の弁の開閉がうまく働かず、循環水が蒸発し燃料が溶け落ちた。いわゆるメルトダウンである。溶け落ちるほどの超高温になるとガスが発生し、格納容器内部の圧力が上がる。
 しかし、密閉された容器から圧力を逃がす手段がなかった。設計値を大幅に上回る力を受けて、燃焼炉には亀裂が入り、燃料交換のための上蓋までが大破した。炉心の曝露である。その時点で、汚染物質の飛散を遮るものはなくなった。これが第二の原因である。
 一つは外部要因、もう一つは設計要因の見逃しといえる。事故の後、設計したGEから、圧力を逃がすベント装置を付けておくべきだったという提案があったと聞くが、後の祭りだ」
 そうなのかと少年は思った。
 万博から本稼働を始めた、最新鋭の発電システムだった。詳細は知らないが、精緻な技術の仕組みに隙があったのだ。初期不良といった小さな齟齬ではない。システムの前提条件や設計に問題がある。ここまでの大事故となると、科学技術に対する信頼性など保てなくなる。
 テレビカメラは、事故の現場に近づくことができなかった。
 あるテレビは、無人の市街地をさまよう犬を写していた。犬は途方に暮れた顔でカメラの方向を見据え、何かに怯えたように逃げ去って行った。あの距離で見えたはずはないのだが、少年は、その雑種犬の表情をよく覚えている。
 一人の記者の撮影した、事故直後の写真が新聞に載った。
 Tも見たことはある。それは雨が流れたような線状のものが走る写真で、遠くに山を背景にした発電所の建物が見えるものだ。手前は海だ。海側から船で接近しようとしたのだろう。雨天ではない。晴れた空のようだった。写真を傷めた原因は書かれていない。
 季節は夏だった。
 岬の先端に位置する、破損した炉からの放射性物質は、大半が南風に吹かれて海に流れた。しかし、風は気まぐれだ。半径三十キロの汚染地域には市の大半、対岸の福井の中央部分、滋賀の一部も含まれている。暴風並みの北風が吹く冬だったら、どうなっていたか分からない。

 製本を終えた同人誌が、空き教室に積まれている。
 接着剤が生乾きの状態で歪まないよう、注意を払って並べたものだ。朝から続いた作業はようやく終わりそうだった。暑い一日だった。夏休み中で、冷房のない教室は使い放題ではあったものの、作業環境としてはあまり良くない。
「持って帰るのも大変ですね」
 部室がないので、保管ができないのだ。
「三人で三十三セットずつ」
「はあ」
 作業となると、最年長の先輩は顔を出さない。

 世の中の雰囲気は、少年が高校生の時に読んだ、ウォルター・ミラーの『黙示録三一七四年』を思わせた。それは戦争のあと、文明そのものが忌避され、書物が焚書排斥され、さらに千年が経った未来を描く小説だ。
 『渚にて』のように、人類すべてがあっさり滅んでいく物語ではない。
 秩序が失われた混沌で始まり、しだいに忘れられていく真相、科学文明を捨てることで生まれるどこか取り残されたような感覚、苦難の中で生き残っていく人々の生きざまと、『黙示録』の暗示する未来は、いまとよく似ていると感じたのだ。
 あり得ないとされてきた原発の重大事故は、人類の大半を恐怖させた。
 未来に暗雲を投げかけたのだ。
 湾に面した汚染区域に残る二つの炉はもちろん、東北の二基も止まっている。明るい未来を約束する原子力施設の建設は無期限休止になった。原発という名称自体がタブーになった。誰も、そのことを語れなくなった。
 アメリカの技術を導入し、国家を挙げて取り組んだ事業だ。国は天災を理由に、不可抗力だと説明した。電力会社の前は、機動隊による封鎖線が張られている。被害の責任を問うデモ隊が、時に過激化するのだ。報道規制も行われているらしい。
 放射性物質の流出を封じ込めるため、自衛隊が投入された。米軍から貸与された大型ヘリで遮蔽板を運び、露出した上部を蔽ったのだ。大量の被爆者を出しながら、大規模な飛散が止まるまでに、およそ十日間がかかった。
 その後、既にメルトダウンした燃料を冷やすために、大量の水が流し込まれている。突貫工事でコンクリートが運び込まれ、石棺と通称される隔離壁ができていた。国は、春先に事態の収束を宣言した。ただ、正式の事故報告書は、一年を過ぎた今でも出ていない。

 少年Tは、今年の冬、京都を訪れたことがある。
 早朝に自宅を出て、いくつかの大学の受験会場まで通ったのだ。そのとき、公園を埋め尽くすテントを見た。
 国内では調達しきれず、アメリカ本土や、撤退したベトナムからかき集められた軍用の大型テントだ。郊外、学校の校庭やスポーツ施設、空き地の多くに、それは並んでいる。三十万人という途方もない数の避難者が住んでいるという。
 広場は木を切られ、区画ごとに隙間なくテントが張られていた。ところどころ炊き出しのための空き地があり、そこでは薪が燃やされている。
 火を囲むようにして、たくさんの人が暖をとっていた。至るところに上がる煙が見えた。寒い日だった。みぞれ交じりの雨がぱらついていた。
 人々はすぐ横の公園にも、周辺の道路にも溢れていた。行き場がないようだった。
 だが、少し離れた府庁の前には、違う人々がいた。見慣れた学生風ではない、さまざまな年齢の群衆が集まり、手書きの横断幕を掲げて、声をあげていた。ヘルメットも手拭もない、だからよけいに場違いな雰囲気がした。
「府はこれ以上の難民は受け入れるな」
「避難民だけではなく、府民の生活を守れ」
「国は震災災害に対する損害補償に応じろ」
「観光資源の破壊を許すな、市民の生活不安解消を図れ」
 市内は混乱していた。北陸からの避難民の多くは京都が受け入れた。観光客が激減したこともあり、市民生活に影響を与えていた。
 その帰り、Tは照明が間引かれた書店の中で、一冊の雑誌を手に取る。雑誌には、国の行く末を象徴するかのような誌名「終末から」が付けられていた。創刊から何号かを重ねた中に、『吉里吉里人』という連載があった。
 物語では、見捨てられた北の田舎町が、突如日本からの独立を宣言するのだ。
 日本の解体を予告する、そんなスラップスティック小説が現実味を帯びてきた。物語が未完のまま、「終末から」は、紙不足を理由に廃刊になる。

 春が来て、少年はいまの大学に入学する。京都の大学に行く機会はなかった。
 梅雨は、いつものように長雨を降らせた。
 事態が常態化し、情報がなくなると、報道はいつのまにか下火になった。
 ニュースは被災地の概況に変わり、避難者の生活を天気予報のように淡々と伝えるだけになった。瀬戸内側にも仮設住宅は設けられたが、数は少なかった。何もかもが、はるか遠くに思えた。
 それでも、夏はやってくる。
 長い夏休みが始まり、昨年の欠番を含め、十三回目のSF大会が開かれる。
 Tにとって初めての大会だ。ヒューゴー賞の日本版ともいえる星雲賞は、今年は誰がとるのだろう。ファンが選ぶ賞なので、出版界やプロ作家の間では全く話題にならないらしいが、読者にとっては一番身近な賞だった。
「海外は『デューン砂の惑星』ですよね」
「順当なところやな」
 砂漠の民と、環境学者の組み合わせが斬新だ。砂漠という環境が、住む人々の思想自身を決める、そういう発想が新しかった。石森マンガの表紙も目新しい。
 国内長編は『日本沈没』以外にはありえない。
 小松左京は何というだろう。あれだけエネルギッシュだったのに、若狭湾震災以来、沈黙していると聞く。震災と関係なく、日本の作家たちは一般小説へと活躍の場を移し、SFから距離を置き始めていた。しかし、いまこそSFに立ち返って書くべきではないのか。そもそも大会に出席してくれるのだろうか。
 被災地と隣接している京都で、今年の大会は開催される。来年の神戸大会は予定通り開かれるのか。少年Tにとっては、今年より自分たちがかかわる来年に関心があった。
 少年が育ってきた、永遠に続くと思われた成長の時代はもうない。だとすると、いったいどんな明日がやってくるのだろうか。
 出口はあるに違いない。少年は思う。
 ディレーニイの小説には、未来のいつか、危険はあるが資源収奪のない、ユートピアのような未来が描かれている。少年が夢想した出口は、その世界と重なり合った、おそらく震災から立ち直った後の世界なのだった。
 そこはもはや日本ではなく、吉里吉里国であり、過去のしがらみを一切捨て去り、別のエネルギーを糧に生きている。違う生き方をしている。

「今年の夏はちょっと蝉が多いみたいやな」
 山と積まれた同人誌を紙袋に詰め、先輩はタバコを吹かしながら言う。
「さっき見たら、木に鈴なりにとまっとるんや。あんなん初めてやな」
 そう言うと、先輩は少し不安そうな表情を浮かべる。
 窓から外に体を乗り出すと、雲一つない、どこまでも抜けるような青空だ。まだ夕暮れの気配はない。うだる暑さに、蝉の声が重なり合い、響き渡っていた。

 そのとき、ごう、という地鳴りが聞こえる。


注:本編はフィクションです。記載された地名、書名や数値には、事実と異なるものも含まれます。また文中に引用された「ドリフトグラス」も原著からの翻訳ではないことをお断りしておきます。

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