ネームレス

「言っとくけど、これがオカルトだったら協力しないぜ」
 いきなり言う。
「話も聞かずにそれかよ」
「ジジイはフェイクに引っかかりやすい。加齢は悪い方に影響する。意志の弱いおまえなんか、特に怪しいな」
 毒舌に鼻白むというか呆れてしまう。
「頭が薄くなっても性格は変わってない、相変わらずだ」
「ふん、ほっとけ。これは経年劣化だ。正当な変化だ」
 少なくとも、お互いジジイになった。確かにそうなのだ。

 *

 いまどきのSFは長らくご無沙汰している。
 しかし、SFの黎明期には未だに興味があった。評論を書く柄ではないが、新しい切り口があればまとめてみたかった。
 日本空飛ぶ円盤研究会という団体がある。
 円盤がまだUFOとも呼ばれず、うさん臭さもそれほどなかったころに作られたアマチュアのグループだ。主催者の荒井欣一は、三十二歳でこの同好会を結成した。
 さまざまな資料で引き合いに出されるのだが、この研究会には、まだ若い有名人がたくさん参加していた。
 まず、中学生で「花ざかりの森」を書いた天才作家の三島由紀夫。荒井とは二歳しか違わない。同会主催の観測会で、双眼鏡を下げた姿で写っている。マジで円盤を見ようとしていたのだ。
 すでに映画やラジオの音楽を手懸けていた気鋭の作曲家黛敏郎、芥川賞を獲ってデビューしたばかりの石原慎太郎も会員だった。
 ネタとかの冗談ではない。みんなが本気だったのである。
 戦争に負けて大日本帝国が崩壊すると、旧来の価値観はすべて崩れ去った。何も信用できなくなった時代だ。逆にいえば、新秩序=ニューノーマルが求められていて、あらゆるものにブレイクするチャンスがあった。どんなものでも、新しければ注目を集めた。
 特に若い世代は何かに飢えていた。食い物もなかったが、新しい知識に飢えていたのだ。
 会合の写真が残っている。
 キャプションが付けられており、主催者だった荒井欣一が前列、二列目に星新一の顔が覗く。このとき、星新一は三十歳になったばかりだ。まだ星製薬の副社長をしていて、日々のゴタゴタから逃れようとしていた頃だ。
 他の十名あまりは分からない。
 一九五六年、半世紀以上前の写真だった。プライベートだというのに、全員ネクタイを締めている。学生服もいる。この時代の外出着というと、スーツがふつうのようだ。場所はそば屋の二階で高級料亭というわけではないが、記念写真を撮るくらいだから、オフィシャルな会合だったのかもしれない。
 そこに、あの女が写っている。
 右奥、襖の陰に隠れ、顔だけが見えている。
 服装はよく分からない。白っぽいワンピースのように見える。短髪をなでつけた他のメンバーと比べると、やや場違いな印象。というか、女性は一人だけなのだ。目立ってしまいそうなのに、蔭になっていてそうでもない。貌は斜めを向き、目だけがカメラを凝視している。いや、そのように見えるだけだが。
 笑ってはいない。
 当時の記念写真では、ふざけていると思われないためか、笑顔を見せない人が多い。まじめな顔こそクールなのだ。無表情さにも、特別な意味はないのかもしれない。
 昔の印画紙は名刺サイズでとても小さい。それをさらに小さく印刷したものだ。鮮明さに欠けるし、視線なんてふつうなら読み取れないだろう。どうして気になるのか。
 いくつか文献を読み漁った。今日泊亜蘭の評伝や、宮田昇の書いた戦後翻訳の逸話、柴野拓実の聞き書き録などなど。ミステリ関係はたくさんあるが、SFは少なく不十分かもしれない。とりあえず、入手可能な文献はいろいろ集めた。
 当時の記録は、ネットでは十分に調べられない。
 関係者の多くはすでに故人である。インタビューはかなり昔のものになる。記事はスペースの関係もあって、些末なことを省略する。結果的に、良く知られたエピソードばかりになる。ある程度深掘りすると、逆に新事実は減る。
 資料を読むのは好きだが、何をどうするという方針はまだ立てていない。単に眺めていた、といった方が良いかもしれない。
 集中しない方が分かることもある。
 フォト出し放題のネットと違って、紙の記事だとコストのかかる写真の収録は少ない。その上、画質の粗い同じ構図の写真ばかりを見る。新しい写真が出ないのは、ネガフイルムなど、マスターが残されていないせいとも考えられる。低温保管庫など個人で持てなかった時代では、ネガの保管は難しいのだ。
 それでも、女には気が付いた。
 まだある。
 空飛ぶ円盤研究会の会誌「宇宙機」から分離独立したのが、日本最初のSF同人誌「宇宙塵」である。ファクト系の研究会に対し、小説などのフィクションは合わないだろうという柴野拓美による判断だった。
 その「宇宙塵」結成五周年目の一九六二年、東京目黒で第一回日本SF大会が開催される。
 もともと大会と称して開くつもりはなく、なし崩し的に話が大きくなった。若人の勢いだけで作られたようなイベントだ。告知のみをSFマガジンに載せ、当日参加で予約も受けず、来場者の名簿さえも作られていないといういい加減さ。参加者は約一八〇人と、主催者の予想より多かったといわれる。
 大会が終わり、記念写真を撮ろうとしたときには、半分以上が帰った後だった。
 写真の右、最後尾あたりに立っている。
 この大会は、後に恒例となった夏ではなく、五月の一日だけの日程で開かれた。夜遅くまでプログラムは続いた。多くの人はやはりスーツを着ている。何人かは詰め襟の学生服だ。女性参加者も少数ながらいる。
 女はブラウスを着ている。上半身しか見えない。
 他にも短い八ミリフィルムの記録があって、会場をパンした映像の中に女が一瞬写ってる。前の席の数人を除けば、誰が誰だか見分けが付かない。だが、確かにいると分かる。
 何をしていたのか。
 いや、もちろんSFの大会に参加しに来たのだ。熱心なファンなのだろう。誰でも参加できたのだから、どこで見かけてもおかしくはない。初期の女性参加者は、珍しさもあって結構名前が残っている。だが、該当する名前とは一致しない。

 *

「どこが不思議なんだ」
 ここまで話すと、友人はぼそりと言った。
「だって、一九五六年と六二年だったら、六年しか離れていない。同じような顔ぶれだろうし、どっちにも参加してて不思議はない」
 友人とは三〇年ぶりの再会だった。
 まったく音信不通だったわけではない。数年前に年賀状をやめるまでは、元気だというくらいは聞いていた。旧交を温めるとか、そういうウェットな付き合いは昔からしていないのだ。そのかわり、感情的な怨恨もない仲だった。ファン同士ならよくある関係だ。
 だからこそ、相談できたのかも知れない。
「おまえの文章は、あいかわらず要領を得ないなあ、昔と変わってない。メールもだらだら書いてあって、何が言いたいかさっぱりわからん」
「それでよく出てくる気になったな」
「まあ、忙しけりゃ相手にしなかった」
「暇だからか」
「暇なのはお互いだろう」
 そういうことなら、と最初から話をしたのだ。
「……まあ、ここまでなら不思議はないともいえる。でも、まだ先がある」
 一九七〇年、日本で最初の万国博が大阪で開かれた。
 その同じ年に、国際SFシンポジウムというイベントがあった。日本SF作家クラブと、日本SFファングループ連合会議共催となっているが、実際は小松左京が総指揮を執り、有志を手足に使うという独壇場の運営だったという。
 小松は同時期に万国博にも関わっていたわけで、どんな時間のやりくりをしたのか見当もつかない。まだ三十九歳で元気があり余っていたのだろう。
 国際を謳うだけあって、アメリカ、イギリス、ソビエトの作家と日本の作家を集めたプロたちの催しだった。
 アーサー・C・クラーク、ブライアン・オールディス、フレデリック・ポール、ジュディス・メリル、英米の作家や評論家たちだが、クラークを除けば、現在の日本では忘れられている。ザハルチェンコ、パルノフ、ベレジノイ、カガリツキーのソビエト作家となると、後継のロシアでも覚えている人は少ないだろう。
 少年雑誌の図解で活躍した大伴昌司が事務局長、まだデビュー前の鏡明ら当時のファンが労働奉仕に駆り出された。新聞や雑誌でそれなりの話題を呼んだものの、シンポジウム形式なので、限られた参加者の大会だった。
 専任のカメラマンはたぶんいない。写真が雑なのだ。
 会場の扉から出てきたところ、バスから降りてくるところ、会議での発言風景などなど、特定の人物中心で、他に誰がいたのかはよく分からない。正装したパーティーなのに、スナップ撮影の写真が残るだけだ。
 それでも、複数のテーブル席があり、ゲストが見える奥、スーツを着て最後列に並ぶ一人に、もはや見慣れたあの顔がある。
 どうやって紛れ込んだのだろう。
 こんな顔ぶれなら、部外者はすぐに見つかってしまうだろう。
 ということは関係者なのか。
「一九七〇年、目黒の大会から八年たってる。これでもたった八年じゃないか。最初の写真が一九五六年か、だとしても一四年だ。関係しててもおかしくない。最初二十歳だとして三十四歳、三十歳なら四十四歳か。ありえないことじゃないな」
「現在の基準で考えすぎだろ。一〇年が昨日に思えるおれらからすればそうでも、この頃で四〇過ぎとなると目立つはずだ。小松左京より上になる」
 友人は印刷された写真に目を凝らす。
「黒が潰れちまってるな。露出不足で不鮮明だ。というか、こんな後ろまでフラッシュが届かなかったんだろうけどな」
 眼を上げると、
「決定的証拠にはならない」
「だから呼んだんだ。持ってきてくれたんだろう」
「ふん、なるほどね」
 友人はテーブルの下から、古ぼけたショルダーバッグを引きずり出した。いまどきのしゃれたリュックではないのが、いかにも友人らしかった。
「いっとくけど、順番とかでたらめだ。整理してないからな」
 膨らんだ大判の事務用封筒がいくつも入っていた。手書きで年号だけ書き入れてある。中には、スリーブに入ったままのネガと、紙焼きがごっそり突っ込まれていた。
「自分で現像したのか」
「いや、おれは撮るのが専門だ。写真屋で同時プリントしたそのままが入ってる。一回くらいは見てるけどな。取り損ねもあるけど、どうしようもない。まあまあ写ってりゃ、それでOKだ」
 友人は撮影マニアだった。ただ、その被写体は鉄道でも風景でもなくて、ひたすらコンベンションだった。
 大会に入り浸って、出演者や参加者、ささやかなコスプレなど、企画を聞くより撮影に熱を上げていた。変わったやつだとは思っていたが、当時は周りにおかしなマニアがいくらでもいた。目立つほどではなかった。
 プライバシーやマナーについて、うるさく言われる前のことだ。
「撮られたところで、公になる場がない。広がらないんだから、誰も気にしなかったなあ。ネット時代になるほど、文句が出るようになった。まあ、デジタル主流に変わる前には、おれはやめちまったけどな」
 オートフォーカスは黎明期、モータードライブはプロユーズのみ、連写機能のないフィルムカメラの時代だ。フィルムにはお金と手間がかかる。何百枚撮っても平気なデジカメとは感覚が違う。
 重たい一眼レフカメラで、小さなカートリッジを秒速で交換セットする友人の手際をよく憶えている。冴えない風采だったが、セットのかっこよさには感心した。
 久しぶりに会った友人は過去のままだった。少し痩せ、老けた印象だった。頭が薄くなり顔色も悪かったが、記憶にある通りの喋り方をした。
 もう生業はリタイアしているはずだ。
 一人住まいで結婚はしていない。そうだったはずだが、いまどうしているのか。年金生活者なのか、コンビニのアルバイトで凌いでいるのか。そういう生々しい話をしたことはなかった。
「七〇年より後も、写っていないかというわけだな」
 写真の束を取り出した。
「でも、おれが撮ってるのは十五年間とか、それくらいだぜ。抜けている年もある」
 紙焼きの写真はほとんどがカラーだった。鮮やかさが抜け、色褪せて見えた。
「色でいうとリバーサルで撮ったやつはまだましだ。ただ高いから途中でやめちまったな」
 プラスチックのマウントも何十枚か出てきた。
「ポジのスライドか、老眼で見るのはしんどいな」
「文句言うな。スライドのプロジェクターなんてとっくに壊れちまったし、もう売ってねえからな」
「まあ、これは置いとこう」
「とりあえず順番はどうでもいいよな。この辺から行くか」
 机に広げられた封筒の中で、一番分厚い束だった。一九八六年とある。
「第二十五回の大会だ。このときおれはスタッフだった。まあ公式記録員になれただけで、やってることは変わらない。でもどこにでも入れた。楽屋や舞台裏も撮り放題だ。あんないい目は最初で最後だな。公認の腕章は万能だった」
 受付前に並ぶ列を、参加者側とスタッフ側から撮した写真。スタッフの一人一人、参加者のしぐさ、ゲストの立ち姿、企画のひな壇からホールの舞台裏まで、確かに近接撮影のきれいな写真が残っていた。顔もよく見える。サービス版の小さなプリントだったが、有名人はよく分かる。
「これは手塚治虫、まだご健在のころか。小松左京もいるな。お亡くなりの人は、まだほとんどいなかったんじゃないか」
 ルーペで確認すると、群衆の顔も明瞭に判別できた。
「パーティでしゃべる眉村卓。これは押井守かな、映画の宣伝もあって来ていた。そうそう、ゲストでご存命だったホーガンやハリスンも来てたな。外人参加者も結構いたんだ。こんな頃の日本まで何しに来たんだろうなあ」
 そのあと、記念撮影らしいものが出てくる。
「これは最後だ。終わった後のスタッフの全員を写した。第一回大会の参加者くらいの人数になってるな。こういうイベントは人出集約型だからなあ。これを撮ったのは、大会が終わって参加者を追い出した後だろう」
 十名ずつ、何人かのグループごとに撮られたもの、階段に並んでいるのは全員の写真だろうか。大勢いる。百人近くのたくさんの人だ。
 いる。
 小さすぎて分かりにくい中に、見覚えのある顔があった。階段の中ごろ、並んだ中央付近、確かにこの女だ。半袖の腕を組んで、カメラの方向を向いている。写真を示して見せる。
「こいつか」
 他のグループ写真を繰って探すが見当たらない。
「いないな、この時だけなのかな」
 首を傾げながら、友人はつぶやく。
「この大会は、仕事の役割分担が決まっていた。どこかのグループに入ってないとおかしい。全体写真のときだけ現れたのか。無関係だけど映りたかったのか、何のためだ。ただ、俺だってスタッフ全員は知らないからな」
「しかし、同じだな」
 顔つきも、髪型も変わっていない。真夏なので夏の恰好はしている。違いはそこだけだ。
「八六年なら七〇年から十六年後、五六年からなら累計で三十年。外観がまったく同じとなると変だ」
 ルーペを渡す。友人はこれまでの印刷写真と熱心に比較する。
「細かい髪型や顔の表情までとなると、このプリントじゃ分からない。でも八五年のスタッフはせいぜい三十代なかばまでだ。いくら若作りといっても、そこに五十代のおばさんが交じっていれば分かるだろうよ」
 ちょっと考え込んでから、
「ちょっと聞いてみるか」
 手前の一人を指して言った。最前列中央付近でこちらを見て笑っている。
「実行委員長だ。スタッフ全員となると、知ってるのは幹部くらいだろ。当時のメンバーとは付き合いがあったんだ。まあおたくと同じころだね」
 年代物の携帯を取り出して、アドレスをしばらく探す。それから、おもむろにコールした。
「いまいい? 暇だろ?」
 こちらに対するのと同じ調子だったが、相手は了解したようだった。
 同類なら話もしやすい。スピーカ通話で話すことができた。
「あのころはオープニングアニメ全盛期で、それを作らない大会は大会に非ずとかの風潮があってね、そういうのが不満のメンバーを集めたもんだから、まあごった煮でね。いろんな人がいましたよ、変な人とかも結構。当日だけ手伝ってくれた人もいて、全員となるとどうかな」
「まあ見てくれよ、今から送るから」
 カメラでマクロ撮影して、メール送信する。
「ああ、この写真なら持ってたね。どの人ですか、この人ね。拡大した写真だと荒いな、五十歳? そんな人はいなかったよ、今思えばみんな若かったからね」
 と、しばらく黙り込む。
「大会には女性スタッフは結構いたけど、みんな憶えています。この人は何をしてた人なのか、大会もたくさん企画があったしね。映像系の企画の担当者かな、配給会社の人も来てたし、そうかな」
 憶えていると言った他のスタッフも含めて、もう記憶は不確かなようだった。過去のできごとや会った人など、いったん忘れてしまうと、たいていは二度と出てこない。会ったことすら忘れる。
 集合写真には多数の人物が写っていた。すましたり笑ったりの顔、無表情な顔、さまざまな出で立ち、名前の定かではない人たち。それでも、みんなスタッフだった。
 だが、そうではないと思われる女がいる。
 何をしていたのか。
 一見では分からない。服装は毎回異なる。けれど、気がついてしまえば明らかに同一人物に見える。これだけ参加しているのなら、どこかに記録が残るはずだ。
 北海道のバンガローの前。暑苦しい京都の夏の閉会式後。神戸の広いホールの前に並ぶ人の中。石川の温泉旅館の玄関前。大阪の古い会館のエントランスにある階段、東京にあるホールの前、湖畔にあるホテルの中、さまざまな時代の集合写真。
 明瞭な写真もあれば、ピンボケもある。島根、栃木、岐阜、静岡。構図がでたらめなプリント写真の中で、次々見つけることができた。
 いつも同じ表情のない顔をしている。年老いては見えない。
 半世紀を超えるのだから、七十歳は優に過ぎているはずだ。しかし、写真の見かけでは何とも言えないが、三十代くらいに見える。
「エターナルズだな」
「不死者か」
「そうなるとオカルトだ。ありえない」
「せめて神話と言ってくれ」
「結局おんなじ事だけどな。どっちにしても、SF大会専門の不死者なんておかしいだろ、そもそもが。姿を隠すのがふつうじゃないの。のこのこ出てきて、写されたりするかな」
 結論は出なかった。
 とはいえ、証拠は増えた。何を意味する証拠になるのかは依然不明だったが。
 友人の写真はそのまま預かった。
 その後も繰り返し探し、見つかったと思う度に、紙焼きの裏に年号だけをメモして壁に貼ることにした。サービス版写真だと、離れてみたら小さすぎる。ぼやけるのが難点だが、コピー機で大きく拡大したものをピンで留めた。
 壁一面に無数の人の群れが現われた。

 *

 前世紀が終わった前後から、コンベンションは楽しめなくなった。
 それまでは、大会の他に小さな地方イベントに毎年出席していた。
 何人かのゲストを招き、主催者を交えて語り合うのが特徴のイベントだ。テーマは毎年変わり、時事的だったりオーソドックスだったり、多様なところが好評だった。といっても、参加者はせいぜい五〇名くらいだろう。
 会を仕切っていたのは、高校からの知り合いだ。カメラの友人よりずっと古い。大学を経て勤め出してからもしばらく付き合っていた。
 でも、友人以上の関係にはならなかった。
 よく本を読んでいた。エンタメから純文、ノンフィクションや時には専門書、文字さえあれば何でも読んでいた印象がある。趣味に「読書」と書くふつうの人とは違う。執着心が尋常ではなかった。
 読書に加え、それについて語ることが好きだった。だれかれとなく、よく似た仲間を集め、雑談めいた批評会を催すのだ。高校では男女を問わず人気者で、クラスを跨いだ交友があった。マニア的な独善がなく、リーダーシップもあったのだろう。
 大学に入るとさっそく同好会を立ち上げ、会員を煽ってイベントまで開くようになった。普段はそうでもないのだが、そういう集まりになると溌溂としていた。毎回司会を引き受け、卒業しても、その日だけは無理をして駆けつけた。
 イベントは続いた。はじまった頃は学生ばかりだったスタッフも、十年、二十年と経つ間に何人か抜け、友人を含めてほとんどが中年になっていた。
 いつだったかイベントのあと、なじみの喫茶店の二階で話をした記憶がある。
「なんだか疲れてきちゃったなあ。長い間やってきたけど、何の意味があるのかと思うようになって」
 妙に弱気になって、愚痴をこぼすのだ。
「若い時って、意味がないことに意味があったんだよね。無意味で刹那的だからこそ、時代の先端が追えるとか言っちゃってさ。ただもうこの歳になると、疲れてきちゃった。日本のSFってね、もう五十歳になろうとしてるの。若くてきゃぴきゃぴしてた時代はもう終わってる。何でも新しかったあのわくわく感はないよ、もう。担い手が、だって中年だしね、わたしをふくめてだけど。でもねえ、イベントったらもうこれだけしか絡んでないし、日常を離れるからふっきれる。毎年同じ顔ぶれを見る楽しみはあるけどねえ」
 こんな風にも言った。
「認められたいのか、というと少し違う。イベントみたいに形が残らないものは、どうせすぐに忘れられる、それは仕方がない。刹那的と裏腹だからね。終わった瞬間消えてしまう。記憶にしか残らない。忘れられたらおしまい。最近、こんなことを考えるようになった。忘れるというのはホワイトノイズのようなもんだって。信号や光が混じり合って、どんどん区別ができなくなって、ホワイトアウトする。いろんなことが知らない間に積み重なる。白く光っていることが分かっても、何ものだったのかを思い出すことはできない」
 薄く笑って、
「これが忘却なんだって」
 実生活でトラブルを抱えていたようだった。具体的に打ち明けられたわけではなかったが、もうちょっと聞いてやるべきだったかもしれない。
 知り合いの訃報は、数ヶ月後になってから聞いた。
 葬儀の連絡はなく、たぶん家族だけで営まれたのだ。家族葬は、いまほど当たり前ではない。病死だったのか事故死だったのか、公にしたくない事情があったのだろう。
 亡くなったあとには何も残らなかった。
 アウトプットの乏しいトークイベントだ。パンフレットくらいはあっても、本とか公式記録とかはない。参加者の記憶は、日常に上書きされ、すぐに消えてしまう。
 知り合いは個性が際立った割に、それに匹敵する遺産が残されていない。理不尽だと思うけれど、何を本業にしていたのかさえ不確かな他人なのだ。親や兄弟がどうとか、実家はどこなのかとか、思っていたほど本人を知らなかった。
 リーダーを失ったイベントは休止になり、以来開かれていない。
 そのときから、いまどきのSFとコンベンションへの興味を失ったのだ。
 写真の女を凝視めていると、亡くなったあの知り合いが思い出された。平凡な顔立ちだったが、似た雰囲気はある。ただ、粗く拡大コピーしただけでははっきりしない。
 スライド写真があったはずだった。
 机の上に通年順に並べた封筒の中で、まだ中味を確かめていない一袋を見つけ出す。プラスチックのマウントに、ポジフィルムが挟まれているやつだ。
 どれだけ需要があるのか知らないが、世の中にはアナログフィルム用のスキャナが安く出回っている。スライドを再生したい人がまだ一定数いるのだろう。ネガフィルムだと劣化していて期待できないが、ポジなら精細な拡大ができるかもしれない。
 スキャナのフィルムカートリッジにマウントをセットし、一枚一枚をモニタしていく。
「それで、見つかったのか」
「ああ、いたよ」
「似ていたのか」
 顔が、きれいに見えるようになった。
 女がいた。シャギーの入ったおしゃれな髪形をしていた。それぐらい明瞭だった。黒いスーツでひょろりとした痩せた体型で。
「同じ人物かもしれない」
「かもってなんだ。親しかったって話だろ。そもそもだ、いくら小さいといっても、他の写真でも分かったはずだ」
「そうなんだけど……たしかに知り合いの顔なんだけど」
「……たかだか二〇年だろ、忘れたのか」
 薄情だと言いたげだった。
「表情がないんだ」
「……」
「たとえば、横断歩道を歩く人を撮った写真があるとする。たくさんの人がただ歩いている。中には談笑している人もいるかも知れないが、大半は笑っていない。無表情だろう。そういう表情なんだ」
「愉しんでいない、ということか」
「愉しんでいない、いや、そうじゃなくて背景に同化している。ネームレスなんだ」
「ネーム……ってなんだ」
「名前を失ったもの、誰でもないものになった。検索しても出てこない存在になった。つまり背景になった。背景の書き割りに名前は必要ないからな。写真には無名の人がたくさん写っている。ネームレスだ。名前を持つ人はほんの少数しかいない。当事者が一人二人といなくなると、人はみんなネームレスに変化する」
「ああ、一般論で言うのならそうだろう。それじゃ、なんでそれがお前の知り合いの姿なんだ。誰でもないものなら、姿も誰でもないだろう」
「それが分からなかった。ただ半世紀間の写真に変わらない人物が写っているとすると、それはもう実在の人物じゃないだろう。なぜ同じなのかを考え続けている。こんな解釈ができる。記憶がすんなり再現できるときと、忘れたものを思い出そうとするときとでは脳の働く部位は違うらしい。不思議だろ、おんなじメモリの読み出しなのに、機能する脳の場所が異なるなんて。しかも、忘れたものに関係する部位は情動を刺激するんだ。人は記憶を感情と結びつけて記憶することが多いからだろう。でも、その結果として、思い出せないものの代替物=フェイクが生まれてくる」
「フェイクって、その女がか」
「二〇年前のことは忘れていた。いや、思い出したくなかったんだろう。だから、記憶から封印されていた。スライドの写真はたしかに知り合いだった。時期的にイベント活動の末期ごろだ。それを見た後なら、昔の写真と見比べて同一人物ではないと分かると思った。同じだと思っていたのは、自分の潜在意識がフェイクを見たせいだと。ところが、いまでも同じに見える。同じ表情だからだ」
「ネームレスなのか」
「そうだ。最後見たとき、誰でもないものに変わろうとしていた」
「しかし、知り合いでもないおれが見ても分かったのはなぜだ。それに、一人だけじゃないだろう。書き割りだというなら、もっとたくさんいるはずだ」
「そうさ、探せばきっとたくさんいる」
「みんなネームレスなのか」
「驚く話じゃない。おれたちだ。おれたちこそがネームレスなんだよ」

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