抗老夢

「生きている価値はないと主張されるわけですね、生きるべきではないと」
「生きるべきではないとは言っていません」
 声は落ち着いている。
「では、何と」
「生きている価値が低下するのです」
「価値ですか。しかし、そもそも人には永続的に生存する権利がある」
「生存権のことをおっしゃっている。ええ、生存権なら、もちろん万人にあります。ただし、その意味が永続的に変わらないわけではない。生まれてから死ぬまで同じではない」
「同じ人間なのに、生存権に違いが出てくるのですか」
「法律用語を議論しているわけではありません、そこも誤解を招いています」
 江崎エマ博士は椅子に深く腰掛け、インタビューを受けている。江崎博士は合同での記者会見は行わないが、気まぐれのように単独会見をすることがある。
 インタビューする記者はベテランだった。
 科学担当ではないので、話題について万全とはいえない。記事になれば、自称専門家筋からクレームが入る場合もあるだろう。だが、今回の主眼は科学的な是非とは違う。むしろ、何も知らない一般市民レベルの疑問に近い。
 見当ちがいの質問を投げても、博士が不快感を顔や声に表すことはほとんどない。泰然と構え、話をはぐらかす様子もなかった。自身の考えに揺らぎがないのだ。
 江崎博士はOAOのテクノロジー担当重役、CTO職に就いている。
 OAOは、独自開発したドラッグの臨床試験で好成績を上げたベンチャーだ。株式は公開していないが、企業価値は一千億円を軽く越えると話題になったばかりだった。大手に買収されるか株の新規公開、IPOでもすれば、創業株主の一人である博士はビリオネアの仲間入りをするに違いない。
 ドラッグには、アンチエイジングにつながる免疫強化作用があった。
 人の免疫機能は歳とともに低下する。
 筋力などの随意筋の鍛錬や体脂肪ぐらいまでは、年齢を問わず個人の努力である程度コントロールできる。
 だが、臓器の免疫力の低下はどうしようもない。結果として、軽い疾患が重い症状を引き起こすようになる。例えば、鼻風邪が肺炎を引き起こして重症化したりする。免疫を鍛えることはできない。
 老いていくとは、そういうものだと思われてきた。
 しかし、OAOのドラッグを使うと免疫力が回復するのだ。高齢者の罹患率が劇的に改善する。健康寿命が延び、アンチエイジングにダイレクトな効果をもたらす。
 東アジアや東南アジアの多くの国は豊かになった。高所得国になれば老人の割合が増えていく。
 国が豊かになっていくプロセスはさまざまだが、何もしないで労働者の収入、ベースラインが底上げされることはない。大きな利益を生む高付加価値の産業が成長して、初めて賃金が上がるのだ。そこで求められる高度な人材には、育成コストがかかる。
 アジアでは、子どもを育てる費用は親が負担する。いくら親の収入が増えても限りがあるから、教育コストに反比例して子どもの絶対数は減る。すると、老人が相対的に増えるようになる。少子化と高齢化は、現代社会の構造的な裏表なのだ。
 必然だとしても、多数派となった高齢者相手のビジネスには、大きなチャンスがある。
 その筆頭に抗老化がある。
 老化を止める薬は世に蔓延している。天然由来をうたうサプリメントや食材、独特の鍛錬法、ヨガや瞑想、マインドトレーニングといったスピリチュアルな運動。根拠を持つものもある。遺伝子の改良、改変、体細胞の活性化、体内ホルモンの調整や増量化、大手の薬品メーカならばどこでも試みているだろう。
 根強い需要があるからだ。
 生きたくない人間などいない。特に死が意識できる高齢者ならば。
 金持ちだろうが、貧乏人だろうが、よほど苦しい生き方をしていない限り健康的に長く生きたいと思うはずだ。動物由来の原初的、抗いがたい欲望だからだ。効果的な延命法があるのなら求めるだろう。
 結果として、健康が保てるアンチエイジング技術には巨額の資金が集まる。
 その先頭を走り、大きな利益が期待できる企業のCTOが、高齢者は生き続けるべきではない、と言い出したのだ。

 江崎エマの存在は、おそらく業界界隈では昔から知られていたのだと思われる。
 国立大学の先端研究所に所属し、注目を集める研究発表をしてきた。ただ、一般に知られる機会は長い間限られていた。
 だが、意外な事件で江崎は有名になる。
 夫の殺人罪である。
 エマと夫とは歳が離れていた。学生の頃に知り合い結婚したのだが、夫は三十歳以上も年長の指導教授だった。打算があったとは思えない。エマの成績は優秀でどのような道も拓けていた。夫との恋愛は、あるいは気の迷いだったのかも知れない。ただ、おかしな噂はなく、夫婦仲も悪くなかった。
 二十年が経過し、エマは教授職に就き、夫はすでに引退していた。望めば大学で指導を続けることもできたが、そのころから認知症が進行していたと推測される。ある日、夫は台所にあった包丁を使い、自身の首を切って死んだ。
 刃物で自死するにしては不自然な体勢だった。
 夫は近所をよくふらふらと徘徊した。夫婦に子どもはおらず、エマは仕事を休んで介護していた。警察は妻の殺人を疑った。包丁に血濡れの指紋が残されていたし、刃の向きが夫の利き腕と逆だった。
 しかし、結局起訴までには至らない。介護疲れはあっただろうが、夫を殺す重大な動機がなかったからだ。取り調べでもエマは冷静で、夫に対する憎しみは一切感じられなかった。指紋は夫を止めようとした際に付着したものだったし、体力だけは十分だった夫の腕力を考えれば、包丁の向きは決定的な証拠にはならない。
 メディアにとっては、咎の有無に関わらず絶好の標的だった。
 高学歴の老人が教授に殺される、もともと無理がある結婚生活だった、妻の教授には別の恋人がいた、認知症の夫が性交を強要した結果殺された、夫は破廉恥行為で有名なセクハラ教授だった、夫は薬物中毒だった、妻の教授には結婚当初から殺意があった……。
 大きな歳の差がある教授による教授殺しだと、大手だけでなくSNSまで沸き立った。猟奇殺人、不倫、多額の保険金詐欺を匂わせる下卑た煽り、世間知らずの学者だと揶揄するあからさまな侮蔑まで、およそ何でもありだった。
 エマは一切の取材を拒絶した。早々に大学を退職し、住居まで引き払って居所は不明になった。その点は徹底していた。
 当人の動静が掴めないのではネタにならない。事件はバカげたデマを大量にまき散らしただけで、新たな情報がないまますぐに忘れられた。
 OAOの重役の一人として、江崎エマが再登場したのは五年後のことである。

 OAOはアメリカで設立された企業だ。
 CEOは北欧系の白人で、江崎より一回りは若かった。外国人を含む五人のボードメンバーには、それぞれ簡単な紹介文が付いていた。江崎は、和やかな笑顔を見せるポートレートでかろうじて分かるが、学位以外のプロフィールは何も書かれていない。スタッフにはアジア人もアフリカ人もいた。多くはスタンフォードやUCバークレーの出身者だった。ホームページを見ても、アンチエイジング関係の創薬を目指すとあるだけだ。具体的な中身はない。
 ベンチャー企業は中核を成す技術をベースにして設立される。大学などで可能性が見えた技術を基にスピンアウトする場合もあれば、アイデア段階から独立して作られることもある。OAOは江崎のアイデアが基になっていた。CEOはある意味ダミーで、アメリカでの会社運営を楽にするための看板にすぎなかった。江崎こそがキーを握っていたのだ。
 人を含む真核生物には、トア複合体と呼ばれるプロテインキナーゼ、酵素の一種がある。細胞の成長やがん化にかかわるものだ。ある偶然から、がん化を抑えるためのトア複合体経路抑制剤が、逆に免疫機能を高めることが分かってきた。その場合、抑制剤は通常より希釈化されたものを使う。抑制剤が活性化につながるとは、予想外の発見だった。
 OAOはさらにコントロールされた免疫賦活剤を提供した。がん化のリスクを高めず、不必要な細胞増殖も抑え、かつ免疫機能を高める。効果があるのは高齢者だ。健康な状態で治験を始めれば、健康寿命は間違いなく延びる。
 社名から見ても、その目的は明らかだった。OAOとは、Old Age is Overのことなのだ。
 日本でOAOの存在を知っていたジャーナリストは少数だった。
 リサーチャーが少ない上に、ベンチャーの設立など日常茶飯で、現地メディアが取り上げない限り目が行き届かない。しかし、臨床結果が著名な専門誌に掲載されると、にわかに注目を集めた。
 日本人が関係してると分かると、ネガティヴなネット世論が現れた。
「ジジババをこれ以上生かしてどうする」
「いつまで生きたら満足するんだ、さっさと後輩に場所を譲れ」
「ただでさえ、年寄りが多すぎる。平日の昼間なんて年寄りだらけで目障りだ」
「おれたちの税金を、これ以上死に損ないに回すな」
「さっさと消えろ、もう十分生きたろう」
 偏向した声と言い切れないのが問題だった。大衆の奥底に溜まる不満なのだ。
 高齢者が多数派になったせいもある。頭の上に大きな塊がある世代にとって、重しの存在は自分たちを押しつぶす大きな不安の源泉だ。
 悪意が瘴気のように立ち昇る中で、それでも建前ではなく生きるか死ぬかを選べとなると、高齢者は生きる方を選ぶだろう。彼らからすれば、若さだけが取り得の衆愚に耳を貸す道理などない。
 江崎はそういう風潮が広がる状況で、なぜか自社に不利益となる発言をしたのである。

「高齢者が人生を楽しむ権利はないのですか」
「楽しむのは良いことです。楽しみを否定したりしていませんよ。旅行をする、ハイキングをする、食事を愉しむ、本を読んでも映画を見ても良い、まったく構わない。けれど、それが何を産み出すのかです」
 エマは間を置く。
「何も生まない。ただ時間と資源が費やされるだけなのです」
「しかし、これまでの人生で何かを生み出してきたわけでしょう。仕事とか子育てとか。これからも、ポランティア活動とかで社会貢献できる」
「ええ、そうでしょう。でもそれは過去の仕事や、きわめて補助的な活動でしょう。もう終わったこと、意義の小さな成果にすぎない」
「過去は貯金できないと」
「ええ、過去は貯金できません。過去に生み出したものは、既に消費されてしまっている。当人の記憶にしか存在しない」
「無駄に生きているということですか。無駄だから生きるなと」
「誤解を招いたのなら恐縮ですが、わたしは生きるなとは言っていません」
「もう少しわかりやすく説明してください」
「人は生まれたあと、しばらくは何も生産しません。成長の時期ですね。ここではさまざまなものをインプットする。若いときのインプットは貯金になります。やがて大人になって、アウトプットする側に回る。単純に年齢で考えると、一八歳から七十歳程度まで生産を続ける。しかし、その間の生産性は一様ではない。人によって多い人も少ない人もいる。絶対値を比較するのは不公平かもしれない。そこで、一人の人に限って見ていけば分かりやすい。働き出す最初は効率が悪い、空回りして成果が出ない。そのうち、習熟できたことで生産する、何かを生み出すようになる。この時期は貯金分のインプットとアウトプットが釣り合っています。ただ、ピークはあるでしょう。四十代から五十代にもっとも働いて、あとは次第に衰えていく。老人になるとアウトプットは減り、まもなく消えてなくなる。その段階でインプットがあったとしても、何かが出てくることはもうない。未成年の頃と違って、無価値なインプットなのです。わたしの言う価値とはこういう意味なのです」
「八十歳を過ぎてから、傑作を書く作家もいるでしょう」
 すると、エマは微笑みを見せた。
「まれな例外です。あなたもお分かりでしょう。しかも、どんな天才作家でも、絶頂期に比べれば明らかに衰えている。ピークは過ぎているのです。天賦を持たない凡人なら、なおさらそうなる」
「分かりました、生きる価値が減るという意味は。そうだとして、何をすべきとお考えですか」
「価値がないのなら、何もすべきではない」
 エマは声を強めて言った。
「価値のない生であっても、寿命まで生きるのであれば問題はない。しかし、価値を生み出さないまま、生を付け加えるのはおかしい。アンチエイジングによる延命も若返りも必要ない、ただ生を全うすれば良いのです」
 ここで、肝心の質問が投げかけられる。
「ではなぜ、あなたの会社はあのようなドラッグを開発したのですか」

 エマの夫は、指導教授だった時点で五〇代半ばだった。ただ、当時の写真や映像からは、そうは見えない。若々しく溌剌としていて、服装もラフでエマと同窓の院生といっても通用したかもしれない。
 学生時代のエマと、夫とが対話している映像が残されている。
「人間にはどのくらいの寿命があるかを、まず考えてみてほしい」
 ゼミ室のような狭い部屋の中で、数人の学生と教授が対話している。
「生物学的には百十五歳、最大で百五十歳と言われている」
「その考え方はマウスの研究から来てますね。老化細胞を取り除くと、二〇パーセントから三〇パーセント寿命が伸びた研究報告がある」
「マウスと人間は、遺伝子情報が九七パーセント一致するからね」
「それじゃ、寿命の絶対値が違うのはなぜですか。人はマウスの三〇倍は長く生きますよ」
「絶対値は生き物の大きさによっても違ってくる。マウスの大きさからすると、三〇倍どころかもっと差が出てもおかしくない。その点で言えば、いまの十倍、千歳まで可能という見方もある」
「十倍の根拠は、線虫Cエレガンスの寿命伸張の話ですよね。たしかに線虫ではできたのでしょうが、人と一緒くたにするのはどうかと思います」
「Cエレガンスの遺伝子数はヒトゲノムと同じくらいある。この線虫が実験対象としてよく使われるのは、単に遺伝子操作がしやすいだけじゃない」
「同じくらいというのと、同じでは違います。実験動物と人間との差はとても大きいと思うのに、寿命の話になると安易にスケールを合わせてしまうのは不思議ですね。それぐらい、誰もが関心を持っている」
「誰だって若く生きたいからな」
 教授は、人の寿命の大幅拡張を主張している。老化細胞を除き、細胞の賦活化により、革新的な解が拓けるのではないかと考えていた。院生たちも、教授の熱意に押され、その考えに同調している。
 ただ、一人エマだけはそう考えていない。
「長く生きるのはすばらしい。けれど、それは今が、若さが永遠に続くと思うからですよね。生命の延長と若さの延長を両立させるのは、とても難しいのではありませんか」
 結局、研究に対する立場が違うことは、二人の恋愛の支障にはならなかったのだろう。交際期間の数年間は、二人の関係は巧妙に隠されていた。教授は今まで以上に若作りするようになったが、不審には思われなかった。
 博士課程を卒業してから同棲を始め、やがて関係が知られると正式に結婚する。結婚後の職場は別々だった。海外出向、大学や研究機関への赴任と、異動するたびにお互いは単身となり、対話する機会はあまりなかった。
 夫は大学を早期に辞める。次の仕事のことをエマと話していた。新規事業の目論見があり、誘ってくれる有力者もいるからと。
 自死した時点で、夫は年齢以上に老けて見えた。
 染みが散った顔には深いしわが刻まれ、何より表情が死んでいた。老人が感情を顔に表すことは少ないが、知性が失われているとより顕著になる。たしかに認知症の患者は高齢者だけとは限らない。夫の場合は、比較的若い時期に症状が進んでいた可能性はある。外見に明確に現われたのは七十歳を過ぎてからだった。

 江崎エマ博士は静かに答える。
「開発したドラッグは、生きる価値を高めるのです」
「抗老化をもたらすと言われていますが」
「その言葉は誤解を招きます。若返らせるものではありません」
 質問者は困惑する。
「若返らない、寿命を延ばさないのですか」
「われわれは、生きる価値の中央値を押し上げようとしているのです」
「中央値、どういう意味でしょう」
「統計の指標ですよ。中央値は分布の真ん中になる。平均ではなく、分布の偏りの影響は受けにくい。いまは生命寿命の中央値と、生きる価値を失う価値寿命とには差異がある。これを最終的には一致させるのです」
「博士のおっしゃる生きる価値を実現できる年齢は、少なくとも高齢者の年齢ではない。もっと若いのではないですか」
「その年齢を高齢者にまで高めるのです」
「たとえば、九十歳まで生産できるようにするのですか」
「いまの高齢者というのは緩慢に死んでいるのと等しいのです。臓器が衰え、反射神経が衰え、代謝が衰え、知能が衰え、細胞自身が衰える。そのだらだらと続く下り坂を凝集する。結果として、肉体の死と知能の死を一致させることができます」
「下り坂を凝集というのは……」
「免疫機能を向上させ、代謝を高めるという意味です」
「なるほど、それで寿命が延びるのですか」
「ただし、反作用として細胞に許された生命寿命は減少する。本来生命に許された絶対値が延びるわけではありません」
「減少する……」
「絶対的な年齢は一人一人で異なるでしょう。おしなべて言えば、いまの平均寿命より、おおよそ二十年は早くなると予想しています」
「だとすると、寿命が短くなるのですか」
「われわれはただ生きているだけの生を、無価値なものと考えてきました。ある人が寿命一杯まで緩慢に生きたとする。最終的には、アウトプットどころか、何も、何一つできなくなるでしょう。短くても、一定のピークを保って生きられるとするなら、その方がはるかに有意義ではありませんか」
 エマの説明によれば、OAOのドラッグが効果を及ぼす年齢は、前期高齢者にかかる前後からだ。それより若い世代では有意な免疫向上は見られない。六十五歳から服用を始めることで、被患率が下がり、記憶や判断力の維持も図れる。
 だが、代償として、およそ生命寿命の三年分を毎年すり減らしていく。
 つまり、余命は「三分の一」に縮む。
 九十五歳まで生きられる人なら、七十五歳でストックが尽きる。ただし、いくつまで生きられるのかの余命は、誰もあらかじめ知ることはできない。
「この薬を使うか使わないかは、各個人が決めることになります。もし決めるのなら、早いほうが選択しやすい。自分が老人になってからでは、もう決断できないでしょう。目の前の余生にしがみつきたくなる。しかし、それは命の有意義な使い方とは言えません」
 江崎エマ博士は次のように続けた。
「わたしの亡くなった夫は、セノリティック・ドラッグの研究にのめり込んでいました。適切な日本語がないのですが、セネセント、つまり老化細胞を除去するドラッグです。老化細胞が消えずに残存したままだと、さまざまな疾病を引き起こす源泉となる。積極的に取り除く研究が進んでいました。アンチエイジングにもつながると考えられてきた。実際そういう効果もあった」
 視線をそらす。
 欧米スタイルのインタビューに合わせたのか、部屋は天井灯を消され、フロアスタンドの燈りだけが博士を照らしていた。
「研究結果は良好でした。自身も臨床試験に参加しました。結果として、彼は年齢に比べて肉体的な若さを保てていた。ただ、すべての疾病を防げるものではなかった。ドラッグは、残念なことに認知症の治療を妨げる作用がありました。病状の進行は止まらなかった。人の外見というのは奇妙なもので、その人の知性を反映してしまう。老いたから醜くなるのではないのです。恐ろしい変貌が起こりました。それでも、肉体自体は強壮なままです。わたしの恐れていた、生きる価値のない老人へと変わっていった。夫のドラッグは、そういう副作用があって実用化されなかったのです」
「事故で亡くなられたのですね」
 エマは笑みから真顔にもどった。
「夫は自殺したのです。いつまでもわたしと同じように生きていたかったのに、そうはできなかった。あの人は老いに対する恐怖心を、おそらく一般人の誰よりも強く抱いていました。常に若く生きたかった。わたしと結婚したのも、半ば彼のその欲望の一環だったのではないかと思います。しかし若さは維持できなかった。彼は外見の若さこそが生きる価値だと思っていたのです。夫は醜さを恥じたのです」
「お気の毒です」
「夫は若さの意味を取り違えました。外見なんてどうでもいいことです。それが保たれたところで、生み出すものは何もない。価値のない生の最たるものです。ただ、知性までを失ってしまった。予想できなかったとはいえ、夫の研究はもっとも重要な価値を失わせて終わったのです」
 エマは話を終える。
 ふたたび笑顔を浮かべると、こう付け加えた。
「それだけは、許せなかった」